タイ人といえば、「ほほえみの国」や「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」で知られるように、「あまり細かいことを気にしない性格の人」というイメージがあるようです。
けれど、実はそれはタイ人の表面しか見えていないのかもしれません。
実際のタイ人は、もっともっと奥深くて魅力的な性格の持ち主なのです。
この記事では、タイ人の本当の人間性と、それが形作られた理由について解説していきます。私たちのタイ人イメージが覆るかもしれません。
これが本当のタイ人だ!タイ人の性格
実際のタイ人はどんな人たちなのでしょうか。
タイ人の性格には、次のような特徴があります。
・世渡り上手
・衝突を嫌う
・信念を貫くことにこだわりすぎない
・バランス感覚に優れている
一般的なタイ人のイメージからは少し違いませんか?
では、そんなタイ人の性格を深堀り解説していきます。
タイ人のほほえみの意味は、10種類以上

「ほほえみの国タイ」と言われるほど、タイでは至るところで素敵な笑顔と出会えます。
まさか、その笑顔に「あらゆる意味」が込められているなどとは、普通は気づかないでしょう。
しかし、タイ人のほほえみには、実は「10種類以上」もの意味があります。
なぜでしょうか。
タイ人はとにかく人間関係を非常に大切にする人々で、ほほえみによって苦しい事態も円滑に乗り切ろうとしているからです。
タイ人が「マイペンライ」とよく口にするのも同じ理由です。
タイ人がおおざっぱで細かいことを気にしない性格だから、というわけではありません。
もし嫌なことがあっても、はっきり面と向かって衝突するのではなく、多少妥協してでも人間関係を損なわないようにしようとする気遣いから来る言葉なのです。
タイが植民地化されなかった理由
もう一つ、タイ人の性格の特徴が表れた例として、東南アジアでタイだけが一度も植民地にならなかった時のエピソードがあります。
19世紀末頃から20世紀にかけて、周りの東南アジア諸国が次々に欧米や日本の植民地になっていく中、タイだけは最後まで植民地化を免れました。
当時のタイは、ビルマやマラヤ(現在のマレーシア)などのイギリス植民地と、インドシナのフランス植民地に挟まれていました。
タイが植民地にならなかった理由は、イギリスとフランスの直接衝突を避ける「緩衝地帯」だったからだといわれることもあります。
しかしそれだけでなく、やはりタイの王の交渉力と賢明な近代化政策の役割も大きく関係していました。
20世紀初頭にタイは理不尽な交渉により、領土の相当の部分をフランスとイギリスに割譲させられます。フランスやイギリスに対して戦いを挑むこともできましたが、タイは自国の状況を鑑みて領土割譲に応じ、かろうじて独立を保つことを選択します。当時の王には、これは相当な苦渋の決断でした。
この後タイは日本と同盟関係を結び、イギリスとフランスに割譲していた領土を日本の仲介によって1941年と1943年にタイ領に一旦取り戻します。現在もバンコクにある戦勝記念塔はこの時建てられたものです。
ところが日本が敗戦し、この領土は再びイギリス・フランスに返還されることとなりました。それが現在のミャンマーやラオス、カンボジアの一部になっています。
終戦後タイは、「宣戦布告無効宣言」を受け入れ、いち早く反共を掲げてアメリカの支援を受け、大きな政治的ダメージを受けることはありませんでした。
タイ人の性格をつくった3つのもの

さて、こうしたタイ人の性格ができあがった理由はいったいなんでしょうか。
タイという国の成り立ちと歴史を振り返ると、その理由がわかります。
1、身分制度の名残り
一つ目は、過去の身分制度の名残が現在も残っているということです。
タイは、非常にヒエラルキー(階級)を意識する格差社会なのですが、
そのルーツは、15世紀頃から約400年間存在していたという制度にあるのではないかといわれています。
「サクディナー制」は、王国の全ての人の上下関係を数字でランク分けするもので、アユタヤー朝の時代から行われていました。
この数字がすべての人間関係の指標となり、タイ人は「自分がどういうランクにいるのか」に従って他者との付き合い方を学んでいきました。
サクディナー制では、目上の者が目下の者を保護してやり、目下の者は目上の者に忠誠を尽くす、という関係が当たり前に行われていました。
サクディナー制は1905年頃、当時の王ラーマ5世(チュラロンコーン王)により廃止されましたが、身分制の考え方やそれに基づく行動はタイ社会の中に現在も残っており、それが今日のタイ人の性格にも表れていると考えられます。
タイでは、タイ全体を「家族」ととらえ、「父」である国王が「子」である国民を保護し、国民は国王に忠誠を誓うものだといったイメージがあると言われています。
またタイ人は基本的には上下関係を重視し、円滑な人間関係が続くように努力します。公的サポートが十分ではないタイでは、会社の上司が部下の金銭的なフォローをしたり、公私ともに面倒を見てあげるということもよくあります。
その一方、相手に魅力を感じられなくなると、関係を即座に終わらせるというドライな側面もあります。
2、仏教(上座仏教)の価値観

タイ人の人間性をつくっている2つ目の要素は、タイにおける仏教、なかでも上座仏教の価値観です。
仏教はタイという国にとって非常に重要な要素であり、現在は人口の90%以上が仏教徒、そしてそのほとんどは上座仏教徒です。
タイ社会全体に仏教的価値観が浸透しており、「前世で徳を積んだ人ほど現世で良い地位や身分に生まれる」と信じられています。
そのため、人々は権力者や身分の高い人に自然と従う傾向があり、目上の者に対して異を唱えたり反抗したりすることはあまりありません。(もちろん例外はあります。)
先述したように、サクディナー制は1905年頃に廃止されましたが、この上座仏教の価値観は色濃く残っていたため、身分差を肯定的に捉える社会は続き、サクディナー制から生まれた身分制も見えない形で引続き残っていたのです。
さらに上座仏教では「ガタンユー(報恩)」という考えがあり、恩を受けた人に感謝し、その恩を返すことを当然としています。
恩を受けたら返し、また受けたら返す・・・このガタンユーのサイクルが永遠に繰り返され、良い地位や待遇を与え/与えられたり、困ったときに助け/助けられ、タイでは人間関係が非常に大切になってくるのです。
↓仏教国タイの中でイスラム教徒が多数派を占める地域について紹介した記事はこちらです。
3.外来人的な価値観
タイ人の性格をつくった3つめの要素は、アユタヤやバンコクを中心に広がった「外来人的な価値観」です。
なかでもアユタヤは、14世紀半ば~18世紀半ばに栄えた王朝ですが、交易が非常に盛んで人の往来は自由であったため、交易業には地元民よりも、多くの外来人(華人、日本人、ベトナム人、インド人、ペルシャ人、オランダ人、ポルトガル人・・・など)が従事していました。
外来人は商業だけでなく政治的、社会的にも重要なポストにつくようになり、国家の運営に大きく関わるようになります。そして、タイ社会で子孫を作り、この地域に定着していきました。
一方、タイの地元民や周辺からの移住者(ラーオ、クメール、ビルマ、モン系の人々)はもともと農業従事者が多く、農民や奴隷として生活していました。
様々な地域からやってきた外来人やその子孫は共通した価値観を持たなかったため、彼らには自らが築き上げたコネクションこそが全てでした。そのため、利益や人脈(コネ)を重視する傾向がありました。
そんな中で、アユタヤやバンコクなどのタイの中心地域では、利益やコネを重視し、人間関係の円滑さを非常に大切にする価値観が定着し、タイ中心部の人々の価値観となっていきました。
外来人が多く住んでいた地域はアユタヤやバンコクに集中していましたが、彼らの価値観は人の移動などによって、タイの各地方にも徐々に広まっていきました。
このように、
- 身分制度の名残
- 仏教的価値観
- 外来人国家性
の3つが相互に関連し合い、現在のタイ人の性格が形作られました。
まとめ
タイ人の性格は、「ほほえみの国」「マイペンライ」からくるイメージより、実はもっと奥深くて魅力的です。
彼らは、細かいことを気にしない性格だから笑っているのではありません。笑顔の裏には、いくつもの繊細で複雑な感情が隠されています。
身分制度や格差を受け入れ、相手を気遣いながらも、それを利用して同時に自らの利益にもなる見事な身の振り方ができる、賢く逞しいタイ人。
タイならではの歴史が作り上げたタイ人の性格こそ、しなやかなタイ流の世渡り術といえます。
最後までお読みいただきありがとうございました。この記事がタイやアジアを理解する一助になれば幸いです。
参考文献:
- 赤木 攻『タイのかたち』めこん.2019
- 綾部真雄『タイを知るための72章【第2版】』明石書店. 2014
- ヘンリー・ホームズ他『タイ人と働く ヒエラルキー社会と気配りの世界』めこん. 2000






