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マハティール元首相~日本と築いた絆と未来

マハティール元首相 アジアの歴史
アジアの歴史アジア各国の詳細ガイド

昨今、東南アジアが経済や文化など様々な面で注目を集めています。

中でも、20世紀末から21世紀初頭にかけて急速な経済成長を遂げたマレーシアには、強いリーダーシップで国の未来を切り開いた一人の政治家がいました。

それが、マハティール元首相(マハティール・ビン・モハマド/ Tun Dr Mahathir bin Mohamad)です。

その鋭い洞察力と果敢な実行力、揺るぎない政治信念を持ち、世界から尊敬と注目を集める存在です。

特に日本との縁は深く、彼が提唱した「ルックイースト政策」は日本でもよく知られています。

本記事では、マハティール元首相の実績や人柄、日本との関わりを振り返りながら、彼がどのような人物であるのかを探ります。

  • マハティール元首相とはどんな人?
  • マハティール元首相の実績とは?
  • マハティール氏の人柄は?
  • マハティール元首相と日本との縁とは?

この記事ではこうしたことについて解説します。



マハティール元首相とはどんな人?

Who is Tun Dr Mahathir bin Mohamad

マハティール元首相は、マレーシアの第4代および第7代首相を務めた政治家です。

1925年にマレーシアに生まれ、2025年7月には100歳を迎えました

日本による占領統治を経験した後、医師としてのキャリアを経て政治の世界に入りました。

1981年に首相に就任し、2003年までの22年間マレーシアの経済発展と近代化に大きく貢献しました。

日本や韓国を手本とする「ルックイースト政策」を掲げ、マレーシアは持続的な高度経済成長を達成しました。

2003年に首相引退後は政治の第一線から退きますが、なんと2018年に92歳で再び首相に返り咲きます。

民主的に選出された当時世界最高齢の首相でした。

「1MDB事件」というマレーシア最大級の政府系汚職事件を受けた選挙で、野党連合「希望連盟」を率いて政権交代により勝利しました。

しかし、内部対立により政権は2年で崩壊。

その後は執筆活動や後進政治家の育成などに専念しています。

マハティール元首相の主な経歴
  • 1925年
    ケダ州アロースターに生まれる

  • 1953年
    医師資格を取得
  • 1964年
    下院議員に初当選
  • 1981年
    首相就任、ルックイースト政策をはじめとする数々の政策を打ち出す

  • 2003年
    首相退任

  • 2018年
    92歳で首相に返り咲き
  • 2020年
    首相退任

マハティール元首相の実績

マハティール氏が実施した政策の中から、代表的なものをご紹介します。

1.ルックイースト政策

マハティール氏が1981年に首相に就任して最初に取り組んだ政策が「ルックイースト政策」です。

この政策の核心には、「日本から学ぶ」という明確な意図がありました。

日本の成功の要因を一つ一つ分析し、「愛国心」「規律」「勤勉さ」「管理能力のシステム」などが成功の鍵と考え、これらをマレーシアに取り入れることで発展を目指しました。

また政策の一環として、多くのマレーシア人学生や研修生を日本に派遣して日本の文化や技術を学ばせたり、日本企業のマレーシア進出や日本との合弁会社の設立もすすめられました。

この政策の結果、第1次マハティール政権期(1981年~2003年)22年間での平均の実質経済成長率は約6.2%一人あたりGDPも2倍以上になりました。

ルックイースト政策で重視された価値観は、マレーシアにもともとあったイスラームの価値観(勤勉さ、規律、国家や企業への忠誠、個人よりグループを優先)に通じるところもあったため、それらがうまくリンクしたと考えられます。

2.アジア通貨危機後の固定相場制導入

アジア通貨危機での対応も、世界の注目を集めた政策の一つです。

1997年、タイ通貨の暴落を皮切りにアジア諸国の通貨が大幅に下落し、マレーシアも銀行経営の悪化や株価の下落に直面しました。

タイ、インドネシア、韓国はIMF(国際通貨基金)の支援を受けますが、マレーシアはIMF支援を拒否し、「資本取引規制」と「固定相場制」を独自に導入しました。

マレーシアの独自政策
  • 資本取引規制:資本流出を制限し、通貨の安定を図った
  • 固定相場制: 1998年9月には1ドル=3.8リンギットに固定し、急激な為替変動を防いだ

この政策は国際機関から厳しい批判を受けましたが、

どんなに小さな国も、自分の国は自分で守るしかない。

という信念のもと、マハティール元首相は毎晩専門家を呼び徹底的な調査と議論を重ね、投機家の操作を防ぎつつ通常の貿易に支障をきたさない規制を設計しました。また、闇レートや不正送金の仕組みを徹底的に調査し、問題点も洗い出しました。

結果、マレーシア経済は早期に安定し、貿易高や貿易黒字が増加、長期的な海外直接投資への影響も限定的に抑えました。

国内外から賛否がある中、独自の方法で経済回復を達成したことには、マハティール元首相の強力なリーダーシップがあらわれています。



3.ブミプトラ政策の推進

マハティール元首相は、1957年にマレーシア政府が導入した「ブミプトラ政策」をさらに推進し、教育、雇用、ビジネス支援など幅広い分野で拡大しました。

ブミプトラ政策とは
  • マレー系を中心とする「ブミプトラ」(マレー語で「土地の子」)の経済的地位を向上させる優遇措置
  • 具体的には、大学入学枠の拡大、政府系企業への就職支援、ビジネスライセンスの優遇、不動産購入時の割引など、多岐にわたる支援がある

一方で、この政策は非ブミプトラ(華人系やインド系)の不満を招き、多民族社会の調和をめぐる議論となっています。

マハティール元首相はブミプトラ政策について、「華人の富を奪うものではなく、ともに繁栄することが国の経済を発展させることにつながる」と述べ、ブミプトラが努力を怠らず能力を高める重要性も強調しました。

4.東アジア経済協議体EAECの提案

マハティール元首相は1990年に東アジア経済グループ(EAEG)の提案も行いました。その後、1991年に東アジア経済協議体(EAEC)へと改称されました。

EAECは、ASEANに日本、中国、韓国を加えた「東アジア共同体」の設立を目指し、経済的結びつきを通じた平和推進を目的としたのものでした。

しかし、アメリカによる批判や、日本がアメリカとの関係を優先したことから進展は難航。それでも、マハティール元首相は構想の推進を熱心に続けました。

EAEC構想は何度も議論にあがっては消え、また復活する・・を繰り返し、ついに1997年に「ASEAN会議に日中韓が招かれる」という形で「ASEANプラス3」首脳会議が始まり、実質的にEAECに近い場が実現しました。

彼の粘り強さが、現在の「ASEANプラス3」へと繋がっています。

マハティール氏の人柄

Malaysian way

マハティール元首相の人物像をあらわすキーワードとして、以下のようなことが挙げられます。

マハティール元首相の人物像
  • 信念のある政治家
  • 徹底的に考え抜く
  • 欧米嫌い
  • 平和主義者
  • 日本との特別な縁

具体的なエピソードを交えてみていきましょう。

信念のある政治家

マハティール元首相のリーダーシップは、一貫した政治信念に裏打ちされています。

彼はまずビジョンを示し、その後具体的な政策を決定するという政治スタイルを貫きました。

首相在任中には、ルックイースト政策やアジア通貨危機への対応など、周囲を驚かせる独自の政策を実行し、外部からの圧力に屈することなく「自国を守る」という信念を貫きました。

さらに、2018年に92歳で再び首相に就任した際には、汚職撲滅を最優先課題とし、前政権の不正を追及。この行動は、彼の正義感と国民への責任感を象徴しています。

92歳での返り咲きは、政治への情熱と、「国を良くしたい」というマハティール元首相の強い意志を感じます。

徹底的に考え抜く

マハティール元首相の政策決定には、「徹底的に考え抜く」姿勢が色濃く反映されています。

必ず納得するまで自ら調査し、現場に足を運んで直接話を聞き、常識を鵜呑みにせず一つ一つ検証することを信条としていました。この姿勢は、タブーを恐れず、独自の視点で問題に向き合う彼の性格を象徴しています。

特にアジア通貨危機への対応では、独自の方策を導入して多くの批判を受けましたが、納得するまで自分の頭で徹底的に考え抜いた政策の結果、貿易高の増加や貿易黒字の拡大をもたらしました。

このような徹底的な姿勢が、マハティール元首相の政策の成功を支えたと言えるでしょう。



欧米嫌い

マハティール元首相は「欧米嫌い」であるといわれることがあります。その背景には、自国を守る強い意志と歴史的な視点が深く関係しています。いくつかのエピソードを紹介します。

欧米嫌いといわれるエピソード
  • パレスチナ問題
    ユダヤ人迫害の「つけ」をアラブ地域に押し付けた欧州の行為を「責任転嫁」と厳しく批判
  • アラブ・イスラームへの迫害
    第一次世界大戦中のアラブでの植民地支配や、中央アジアでのイスラーム教徒の迫害などの欧米列強の行為を「倫理観の欠如」と非難
  • アジア通貨危機
    投機マネーによる経済破壊やIMFの支援を「経済的植民地化」と批判。自由貿易やグローバリゼーションが小国を搾取する手段として利用されているとして「現代の植民地主義」と厳しく非難
  • 外資系企業
    自国の利益を優先し、相手国の社会問題を無視する姿勢や、小国に問題を押し付ける欧米の態度にも強く憤る

こうした背景から、マハティール元首相は欧米の「利潤を追求するためには何をしても良い」と考える倫理観の欠如を嫌い、日本の倫理観を重視すべきだとの考えに至ったとも考えられます。

平和主義者

マハティール元首相は平和主義者でもあり、戦争を解決策として認めない一貫した姿勢をとっています。

戦争は民主国家の建設やテロの撲滅につながるどころか、むしろ状況を悪化させると考え、戦争後のイラクでテロが増加したことを例に、戦争の無益さを強調しました。

アフガニスタン侵攻やイラク戦争にも反対の姿勢を示し、忍耐強く対話を続ける必要性を訴え、一つの価値観を押しつけることは不可能であると主張しました。

また、日本の平和憲法を例に挙げながら、日本が戦争の悲惨さを最も理解しているとも指摘しました。日本の戦争時の侵略を繰り返さない姿勢を評価しつつ、原爆や空襲に対しては毅然とした態度を取るべきだと強く主張しています。

このように、戦争の非合理性を理解し、対話と協力を重視する姿勢から、平和主義者だと言われています。

マハティール元首相と日本との縁

Putra Jaya

マハティール元首相の政治的な考え方や政策形成には、日本の存在が重要な役割を果たしていると言えます。

そんなマハティール元首相と日本との縁は、複雑かつ深遠です。

戦時中の経験

1925年生まれのマハティール氏は、高校生の頃、日本による占領統治を経験しました。

生活は困難を極め、食料不足に苦しむ「不幸な時代」だったと本人は語っています。

しかし、アジアの一国である日本が欧米列強に勝利する姿に衝撃を受け、「アジア人も欧米に勝てる」という希望が芽生えます。

この経験が、後に「欧米にNOと言える」政治観を生むきっかけとなり、「ルックイースト」という発想を形作る原点ともなりました。

戦後の日本観

初めて戦後の日本を訪問した1961年、瓦礫の中から立ち上がり、復興と発展に全力を注ぐ日本の姿に感動を覚え、彼の人生観は大きく変わることになりました。

人々の勤勉さ、職場での規律、高い品質へのこだわりー

それらは、きっと自分たちの国でも実現できると未来への希望を持つようになります。

以降50回以上訪日し、訪れるたびに発展していく様子を見て、「首相になった時は日本から学ぼう」と心に決めていたそうです。

そして、日本に侵略された過去を乗り越え、「未来に向けて日本に学ぶべきだ」と考えるようになりました。

ルックイースト政策導入へ

そうした経緯があり、首相就任後の1981年に「ルックイースト政策」を掲げました。

政府内からは「日本ではなく欧米から学ぶべき」という反対意見や、戦時中の記憶から日本に対する懸念の声などがありました。

しかしマハティール氏は、先述したように、自らが実際に見て体験した日本の復興の姿から、今のマレーシアに必要なのは、欧米ではなく日本であると信じて押し切ったのです。

この政策により、日本企業からの投資や技術移転が進み、マレーシアの製造業が飛躍的に成長。国民一人ひとりが経済発展を担う人材として育てられていきました。

日本からの支援

そして1997年のアジア通貨危機では、日本からの多大な支援が危機を乗り越える力となったと述べています。

マレーシアが経済の崩壊に直面した際、日本は数十億ドルに及ぶ支援を提供し、国債の保証にも力を尽くしました。固定相場制を導入するという困難な道を選べたのも、日本の存在が背後にあったからこそ。

その時、日本が私たちの背中を支えてくれた。あの安心感がなければ、独自の経済政策は実現しなかった

そうマハティール元首相は述べています。

日本への敬意と感謝の思いを抱き続けた元首相。その思いは、戦後の復興と発展を自国の未来へと繋げようとする強い信念に裏打ちされています。

日本への思い

Malaysian girl

マハティール元首相は、著書や講演会などで幾度となく日本へのメッセージを発信してきました。

日本に対して、どのような思いを述べられたのでしょうか。

感謝と期待

ルックイースト政策を通じて、マレーシアは日本から社会制度や職業観、技術を学び取り、それが経済成長の基盤となりました。これらはすべて、マレーシアの成長を支える柱となったのです。

マハティール元首相は、日本から得た教訓がマレーシアの発展に大きく貢献したと評価しています。

さらに、アジア通貨危機の際の日本からの支援や協力が、マレーシア独自の経済政策を実現する上で大きな後押しとなったことにも深い感謝の意を示しています。

そんなマハティール元首相の日本への感謝の気持ちを表す近年の例として、2018年に首相に再任した際に最初の海外訪問先に日本を選んだことや、安倍元首相の逝去時には訪問中だった韓国から急遽駆け付け、深い敬意を示したことなどがあげられます。

日本への提言

一方で、日本への温かくも厳しい提言も述べています。

それは、「自信と愛国心を取り戻せ」ということ。

「勤勉であるという日本人の素質を誇りにし、他国の言いなりになるのではなく、自分の考えで行動して自信を取り戻してほしい」と激励しています。

そして、過去の過ちを認めつつも過度な謝罪外交から脱却し、健全な愛国心を再構築することで、再びアジアのリーダーとしての役割を果たしてほしいとも願っています。

いつまでもアジアの力となり、手を差し伸べてほしい。今こそ日本に、リーダーシップを発揮してほしい

このメッセージには、日本への深い敬意と信頼とともに、未来のアジアを共に築こうとする強い願いが込められています。

日本が再びアジアのために立ち上がり、強いリーダーシップを発揮する姿が期待されています。

日本とのつながり

マハティール元首相が築いた基盤により、日本とマレーシアの絆は今なお深まり続けています。その象徴的なつながりをいくつかご紹介します。

  • 筑波大学マレーシア分校
    2024年、クアラルンプールに筑波大学マレーシア分校が開校しました。この分校は、元首相の「ルックイースト政策」の理念を体現したもので、日本式の教育を通じて地域の課題解決を担う人材を育成することを目指しています。
  • 名誉博士号の授与
    マハティール元首相は、その政治的功績や日本との関係強化、教育改革への貢献が高く評価され、多くの日本の大学から名誉博士号を授与されています。筑波大学、九州大学、早稲田大学、同志社大学、立命館アジア太平洋大学、国際大学、城西大学などがその代表例です。
  • 桐花大綬章の受章
    2018年、日本とマレーシアの友好関係を深めた功績が称えられ、天皇陛下から「桐花大綬章」を授与されました。この勲章は日本の勲章の中でも最高位の一つです。 マハティール元首相は、これを非常に光栄なことと述べ、日本への尊敬と感謝を再確認しました。

これらの取り組みを通じて、日本とマレーシアは教育、経済、文化を通じた協力関係を築き続けています。

マハティール元首相が築いた日本とマレーシアを結ぶこの絆は、両国の未来を支える強固な基盤となっています。

まとめ

本記事では、マレーシアのマハティール元首相の実績や人柄、そして日本との深い結びつきについてご紹介しました。

マレーシアの発展を牽引したマハティール元首相は、周囲に流されることなく、自らの足で得た知見と経験をもとに、徹底的に考え抜いて道を切り開いてきた強い意志の持ち主です。

そして、その背後にあった日本の影響は、マレーシアの成功を語る上で欠かせない要素でした。

今や、マレーシアは繁栄と豊かさを手にしています。

そんなマレーシアを発展へ導いたマハティール元首相の厳しくも温かい言葉には、日本が学ぶべき多くの示唆が込められているのではないでしょうか。

この記事が、マレーシアやその歴史に興味を持つきっかけとなれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考文献



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