当サイトでは、アフィリエイト・アドセンス広告を利用しています。
当サイトでは、アフィリエイト・アドセンス広告を利用しています。

映画『アクト・オブ・キリング』で知るインドネシア9月30日事件

help 映画で学ぶアジア
映画で学ぶアジア

映画『アクト・オブ・キリング』と『ルック・オブ・サイレンス』は、どちらもインドネシアで1965年に起きた「9月30日事件(通称9.30事件)」というクーデター未遂事件の余波をテーマにした映画です。

『アクト・オブ・キリング』はベルリン国際映画祭観客賞を受賞し、さらにアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされたことで話題にもなりました。

この2本の映画はどちらも非常にショッキングで、観賞後はとても考えさせられます。

この映画に登場する元殺人者達の狂気や、それを許している社会の異常性などが強く印象に残るかもしれませんが、ただそれはこの「9月30日事件」というものを取り巻く大きな流れの中の末端部分でしかありません。もう少し大きな視点でみる時、この事件の真の闇が見えてくると思います。

この記事では、この2つの映画を観る時におさえておきたいポイントを解説します。



映画『アクト・オブ・キリング』とは

act of killing poster photo by [Global Panorama]

『アクト・オブ・キリング』は、2012年制作のジョシュア・オッペンハイマー監督によるドキュメンタリー映画です。

ジョシュア・オッペンハイマー監督が、とある地方で9月30日事件後に共産党関係者の虐殺を行っていた中心人物の一人であるアンワル・コンゴ氏らに「当時の様子を映画にする」という提案を持ち掛け、彼らに殺人を再現してもらいます。

今でも「英雄」と言われ、誇らしげに過去の大量殺人の様子を嬉々として語る元殺人者たちの姿は衝撃的です。

ところが多くのシーンを撮影する過程で、アンワル・コンゴ氏の中で、これまで思いもしなかった考えが巡ります。

映画『ルック・オブ・サイレンス』とは

同じくオッペンハイマー監督による2014年制作のドキュメンタリー映画。

虐殺事件で兄を殺害された男性アディが、かつて兄を殺した人達を訪ね、殺害の様子を詳しく聞き出します。

途中で、アディが実は被害者家族であることを明かすと、元殺人者たちは動揺するものの、「もう過去のことだ」「私には責任はない」などと言い、本気で向き合おうとしません。

「共産主義者=悪」という構図は、インドネシアでは疑いようがない既成事実であり、それが揺らぐことを皆が恐れているかのようです。

それでは、この映画とぜひセットで押さえておきたいポイントを解説します。

インドネシア9月30日事件とは

インドネシアで1965年9月30日の深夜~翌日にかけて起きたクーデター未遂事件です。

当時のスカルノ大統領の親衛隊が、「大統領を陸軍の陰謀から救う」ことを名目に、陸軍将軍6名と1人の中尉を殺害します。

陸軍のスハルト少将の主導によってこの動きはすぐに鎮圧され、クーデターは失敗。スハルト少将は、1967年にインドネシア大統領代行、そしてその翌年には正式にインドネシア大統領となります。

国軍はインドネシア共産党(PKI)がこの事件の背後にいると断定し、「共産主義者を一掃せよ」との指令を出します。

以後、数年間にわたり都市部を除くインドネシアのほぼ全土でPKI関係者や支持者が虐殺・逮捕されました。最初の数ヶ月は特に集中的に行われたようです。

犠牲者は100万人とも、200万人ともいわれていますが、いまだ正確な数字はわかっていません。

9月30日事件の黒幕は共産主義者?

国軍は事件後、十分な調査もないまま「共産党が黒幕である」と断定しました。

そのため、インドネシア国内では「9月30日事件はインドネシア共産党による犯行である」という認識が定着しています。

実際には事件の真相はいまだ多くの謎に包まれており、陸軍内での内紛説、スハルト陰謀説、欧米諸国による陰謀説、スカルノの関与説、毛沢東の関与説など、あらゆる推測が多くの研究者の間で語られています。

事件の鍵をにぎるかもしれない当時の資料には非公開となっているものが多く、真相解明には多くの障害が残されています。

スカルノ時代のインドネシアは共産主義?

よく誤解されることですが、スカルノ大統領時代後期のインドネシアは共産主義の要素を取り入れつつも、完全なる共産主義国家ではありませんでした

共産主義国家では通常、共産党(または労働党)の一党独裁であることが常なので、スカルノが目指した「共産主義の要素を取り入れる」という概念はわかりづらいかもしれません。

スカルノ大統領はインドネシアを西側でも東側でもない「第3の勢力」として、独自の立ち位置を目指していました。

国内では「ナサコム」という独自の政治体制を1960年から開始し、3つの勢力(民族主義・宗教・共産主義)のバランスの上に立つ国家運営を目指していました。

またイギリス・アメリカなどを「帝国主義」「新植民地主義」だと敵視し、海外からの投資や経済援助の受入れを減らし、国連からも脱退してインドネシアは国際社会から孤立していきました。

共産主義国ではなかったものの、徐々にスカルノの左翼化は顕著になっていき、国内・国外でも懸念されていました。

虐殺の加害者はなぜ裁かれない?

あれほどの大虐殺が行われ、実行者もわかっているのに、なぜ彼らは裁かれないどころか英雄扱いさえされているのでしょうか。

そこには複雑な事情があります。

9月30日事件以降に力を得たスハルトの政権は30年以上も続きました。その間にスハルトは反共の独裁的な新体制を確立し、西側諸国からの投資で経済を回復させるなどし、国民の支持を得て強固な権力基盤を築きました。

そして「9月30日事件を起こしたのは共産主義者であり、共産主義は悪である」という既成概念を作りあげていったのです。

スハルトは、アジア通貨危機に端を発する一連の騒動の責任をとり1998年に辞任しました。

その後のハビビ政権とワヒド政権では、事件の真相解明や被害者の名誉回復に向けた動きが見られました。しかし、両政権はどちらも政治基盤の弱さと不安定な社会情勢の影響で長続きしませんでした。

続くメガワティ政権はこの件に関しては慎重姿勢で、任期中に実質的な進歩は見られませんでした。

その後のユドヨノ政権では、ユドヨノ自身が軍出身ということもあり、この事件の真相解明や和解に積極的でなく、これまでの流れはむしろ後退してしまいました。

9月30日事件後の虐殺事件には、インドネシア政界や軍の中にあまりにも多くの事件関係者がいたといわれています。大統領だけでなく、政治を取り巻く関係者たちの思惑が大きく影響し、事件の真相解明を求める動きは幾度となく頓挫しています。それほどインドネシアでは複雑で闇の深い問題だといえます。

スハルト時代につくられた「共産主義=悪」の認識が覆らない限り、加害者達は正式な場で裁かれるようなことはなく、「悪である共産主義との闘いに勝利した英雄」であり続けるのです。

9月30日事件当時の世界と日本

help

このような恐ろしい事件がインドネシアで起こっていた時、世界や日本は何をしていたのでしょうか。

西側諸国の対応

当時は、東西冷戦が続いており、ベトナム戦争が本格化していた時期でもあります。

西側諸国のアメリカやイギリスは情報筋からインドネシアでの虐殺の事実をつかんでいたようですが、西側諸国にとっては共産主義者の一掃という状況はむしろ都合が良く、この件では沈黙を守っていました。

日本の対応

日本の一部のメディアはインドネシアでの虐殺を日本で報じましたが、当時はベトナム戦争のニュースで日本は持ち切りで、インドネシアでの出来事が大きな関心を集めることはありませんでした。

また、日本政府は徐々に権力を失いつつあるスカルノを助けることをやめ、英米に倣ってインドネシアの共産主義勢力が一掃されるのをひたすら待つことになりました。

社会主義諸国の対応

社会主義諸国はどうだったのでしょうか。

ソ連はインドネシアとの経済関係を重視し、インドネシア共産党に手を差し伸べることはしませんでした。

中国は、当初インドネシア共産党を守ろうとする動きがあったものの、文化大革命の大混乱の中で結局インドネシア共産党を助けることはできませんでした。

北ベトナム、キューバ、北朝鮮などはインドネシア内の虐殺のニュースを各国内で報じたり、逮捕者の釈放を求める動きもありましたが、いずれもインドネシアに大きな影響をもたらすことはできませんでした。

インドネシアでは9月30日事件をどう学ぶ?

class room

映画『ルック・オブ・サイレンス』では、小学校で9月30日事件について教師が教える場面がありますが、ひたすら「共産党員の残酷さ」を強調するなど、かなり偏ったものでした。素直で頭の柔らかい子供が教師からこのように教わったら、何の疑いもなく信じてしまうことでしょう。

インドネシアの高校の歴史教科書でも黒幕を共産党だと断定していて、その明確な理由については触れられていません。「国と国民が一致団結して共産主義と闘った」というトーンで書かれています。ただ、共産党とその大衆団体に粛清が加えられた点については少しですが触れられています。

インドネシアの歴史教科書の記述は、一度だけ9月30日事件の黒幕が共産党員であることを断定する表現が消えたことがありましたが(2005年ー2007年)、反発の声が多く、すぐに元の表現に戻されてしまいました。やはりインドネシアの中では、この事件の従来の認識を覆すことへの強い拒否感というものがあるようです。

事件の当事者や当時を知る人はもう事件への認識を変えたくなく、彼らの世代が作り上げた歴史認識を若い世代は疑いもなく学んでいる、という構図が出来上がっています。

まとめ

インドネシア9月30日事件は、虐殺行為の加害者と被害者だけの問題ではありません。当時の政府、軍、社会、さらには虐殺の事実を知っていながら手を差し伸べることができなかったインドネシア以外の国々も無関係とはいえないのかもしれません。

そんな視点で『アクト・オブ・キリング』『ルック・オブ・サイレンス』という二つの映画を観ると、少しだけ違った見方ができるのではないかと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。この記事がアジア理解の一助になれば幸いです。



参考文献:

  • 倉沢愛子『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』2020. 中公新書
  • 倉沢愛子『9.30 世界を震撼させた日 -インドネシア政変の真相と波紋』2014. 岩波書
  • イ・ワヤン・バドリカ『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史 インドネシア高校歴史教科書』2008. 明石書店
シェアする
rinkakuをフォローする
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました