まだまだ知られていない東南アジアの国、東ティモールを紹介します。
東ティモールは、インドネシアとオーストラリアの間にある「ティモール島」の東半分です。(「ティモール島」の西半分はインドネシア。)

2002年にインドネシアから「独立」し、”21世紀最初の独立国” として話題になりました。
ニュースや新聞などでは「インドネシアからの分離独立を果たした東ティモール」という伝えられ方をしたため、もともとはインドネシアだったと思う方もいるかもしれません。
しかし実際は、インドネシアによる一方的な実効支配が24年間続いていただけで、正式にインドネシアだったわけではないのです。
東ティモールは日本とも意外な関係があり、さらにポテンシャルに溢れ、コーヒーがおいしい国でもあります。
この記事では、そんな魅力的な東ティモールをご紹介します。
↓日本人監督が東ティモールをテーマに制作した映画『カンタ!ティモール』の紹介はこちらの記事をご覧ください。
東ティモールの歴史

東ティモールの激動の歴史は、大きく3つの時期に分かれます。
1. 植民地期
16世紀頃にポルトガルが交易のためにティモール島を訪れ、やがて統治を開始します。
17~18世紀頃、オランダも周辺地域に進出し、ティモール島の西半分(現在の西ティモール)はオランダ植民地となります。
・西ティモール・・・オランダ領
1942年~1945年には、日本がティモール島を占領しました。
終戦後、東ティモールはポルトガル領に復帰し、一方オランダ領であった西ティモールはインドネシアとなりました。
・西ティモール・・・インドネシア
1974年、ポルトガルが海外の植民地開放を宣言。
1975年には東ティモールの主要政党のフレティリンが「東ティモール民主共和国」として独立宣言をします。
2. インドネシア「併合」期
独立宣言の直後、突如インドネシアが東ティモールに軍事侵攻し、1976年にはインドネシアが東ティモール「併合」宣言を発表しました。
インドネシアによる「併合」には、多くの東ティモール住民が抵抗しましたが、インドネシア軍による容赦のない弾圧で、東ティモール人口の約3分の1の人々が命を落としたと言われました。
独立闘争を続ける人たちは、山に逃れゲリラ活動を行い、長い長い独立闘争に突入していきます。
同じ国の国民同士で独立派と併合派に分かれて闘いが行われたのです。
1991年、平和的デモに対するインドネシア軍の無差別発砲事件(サンタクルス事件)が起き、100~500人が無差別発砲で亡くなります。
この時、外国人ジャーナリストが撮影した映像が世界中に放送され、東ティモールが再び国際社会の関心を集めました。
そして1998年、アジア通貨危機をきっかけにインドネシアで政権交代が起きました。
3. 独立前・独立後

1999年、東ティモールの独立を問う住民投票が国連主導で実施され、独立支持が78.5%で、東ティモールの独立が決定しました。
しかし投票結果発表後、インドネシア軍および併合支持派の住民により、一般住民に対しての虐殺や暴力、そして焦土化作戦が行われました。
一時は東ティモール駐在の外国人がほとんど出国するほどの惨事となり、東ティモール全土で7割の建物が破壊され、25万人以上の難民が発生し、1,000人以上が亡くなります。
やがて多国籍軍が派遣され、国連の暫定統治を経て徐々に事態は収束。
2002年5月、東ティモールがついに独立を達成しました。
独立後もしばらくは一般市民を巻き込む暴動が発生しますが、国連治安維持軍の派遣や政権交代があり、2012年頃からは治安が安定していきます。
ここまで、本当に想像を絶するほどの激動の歴史を経て、やっと、東ティモールには平和と本来の人々の明るさが戻ってきました。
東ティモールと日本とのつながり
東ティモールと日本は、大きく分けると2つの出来事でつながりがあります。
1. 日本がティモール島を統治していた
日本は1942年からの3年間、ティモール島を統治していました。
その時、オーストラリア軍との戦闘に巻き込まれ、ティモール島に多くの犠牲者を出しました。さらに、強制的労働や、慰安所の設置なども行われ、亡くなられた方は4万人程にも及んだといいます。
2. 「併合」期、日本はインドネシアを支援
1975年のインドネシアによる東ティモールへの軍事侵攻を非難する国連決議が行われましたが、日本はそれに反対票を投じ続けました。そして、インドネシアへの金銭支援を増やしていきます。
その理由は、インドネシアの保有する石油などの資源を見返りにしていたためです。
その一方、独立を求めて戦った東ティモールの活動家や独立派住民は、軍事衝突だけでは問題は解決しないと考え、日本にも介入してほしいと理解と協力を求めていました。
しかし、日本は最後まで東ティモール問題に関してインドネシアに実質的な働きかけをほとんどしませんでした。
日本が享受してきた石油による豊かで平和な生活の裏で、こんなことが起きていた・・。
東ティモールが「遠い、あまり関係のない国」だという意識が少し変わるのではないでしょうか。
現在の東ティモール

さて、では現在の東ティモールの状況はどうでしょうか。
治安
実は独立当初は、治安が不安定で失業率も非常に高い状況が続いていました。
2006年には国軍兵士間でのいざこざを発端に大規模な騒乱が発生し、一般市民も巻き込み暴徒化してしまい、国連から治安維持軍を派遣されるほどの事態となりました。
その後、トップの交代や政権交代、さらに東ティモール指導者たちの努力にもより、2012年ころからは大きな騒乱もなく、政治も与野党協調体制となり、治安も安定しています。
それは、政府による正確で迅速な情報発信、その政府を信頼する国民という、政府と国民の距離の近さ・信頼関係が背景にあると評価されています。
産業
東ティモールの産業はまだ多くはありません。
インドネシア統治時代にはいくつかの産業がありましたが、1999年の住民選挙後の暴動で国内の建物や産業インフラもほとんど破壊されてしまい、東ティモールに進出していたインドネシア企業もすべて撤退してしまいました。
独立後はほとんどゼロからの出発となってしまったのです。
① コーヒー

東ティモールではポルトガル統治時代からコーヒーが栽培されていました。しかし、インドネシア時代はコーヒー産業はほとんど「放置」状態でした。
独立後、海外のNGOなどがコーヒーの管理や栽培の技術を伝え、コーヒーの品質を向上させ、東ティモールコーヒーをフェアトレードコーヒーとして販売するなどの活動が行われています。
現在は、全人口の4分の1は、コーヒー産業に携わっていると言われ、国の唯一といっていい輸出用の農業資源です。
東ティモールコーヒーは、農薬を買えない貧しい時代が長く続いていたため、基本は農薬を使わないオーガニックコーヒーです。
また、品種改良もほとんどされていないため、希少価値の高い品種が使われています。
最近では東ティモールコーヒーを目にする機会も増えてきました。
東ティモールコーヒーは、ほどよくコクがあり、バランスのとれたとてもおいしいコーヒーです。
↓アジアのコーヒー事情についてはこちらの記事もご参照ください。
② 農業
①で紹介したように、コーヒー以外の農産物はあまり育っていません。
もともと、トウモロコシや芋や米を自給自足のためにのみ栽培し、あるいは物々交換をして生活をしていたため、農業の生産性は低かったのです。
さらに農業に必要な水を引く灌漑設備は十分に整っておらず、人材育成も十分にできていない状況にあります。こうした課題を乗り越えて、農業はまだまだこれからの成長が期待されます。
③ 石油、天然ガス
オーストラリアとの間のティモール海に石油と天然ガス資源が存在し、1990年代末から開発が進みました。
初代首相であるアルカティリ首相時代に、「石油基金」というものが設立されました。
これは、埋蔵量の3%を毎年の使用上限にし、石油資源と収入がすぐに枯渇することのないよう、将来にわたって継続的に石油を収入源にしていくことを目的としたものです。
石油という資源に頼りすぎず、継続的に発展していくための賢明なアイデアです。
④ 観光
東ティモールは近年、観光産業に力を入れており、今は一般人でも難なく東ティモールに行けます。
日本からの直行便は今のところありませんが、シンガポールやインドネシア経由で行くことができます。
手つかずの自然、子供たちの屈託のない笑顔、神秘的な精霊信仰、などなど東ティモールならではの魅力があふれています。治安も安定しており、首都ならばホテルもあるので宿泊地にも困りません。
人

東ティモール人って、どんな人たちなのでしょう。
東ティモールはカトリック教徒が多いのですが、同時に土着の精霊信仰なども強く残っていて、山や川や大地を大切にし、精霊や「もののけ」が日常の会話の中に普通にでてくるのだそう。
呪術の果たす役割も大きく、儀式や祭りをとても大切にしてもいます。
また、興味深いのが「ありがとう」「ごめんなさい」をいう習慣がないことです。
東ティモール人には、「自分と他人を分けない」という考え方があり、わざわざお礼を言うのは他人行儀であり、自分と他人を分ける行為だと思うのだそうです。
人と人とがつながっていることが当たり前の社会なのでしょう。
↓映画『カンタ!ティモール』では東ティモールの人々の世界観について深く知ることができます。
他の東南アジアとは、ここがちがう
他の東南アジアの国とは大きく違う点が、東ティモールにはいくつかあります。
1. 独立した時期がかなり遅い
ほとんどの東南アジア諸国が1945年以降、順次独立していった中、東ティモールだけは旧宗主国ポルトガルによる再度の統治が長く続き、その後インドネシア「併合」も経て、21世紀の2002年にやっと独立することになりました。
2. ASEANの最後の加盟国
東ティモールは、経済格差の大きさやインドネシアとの関係などを背景に、長らく東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟が実現されませんでした。
しかし、ついに2025年10月26日、東ティモールが正式にASEAN加盟しました。
東ティモールは、東南アジアで最後のASEAN加盟国になりました。
3. 米ドルが使用されている
東南アジアでは唯一、米ドルが通貨として使用されています。そのため物価は高くなってしまい、なかには西ティモール(インドネシア領)に行き、物価の安いルピアで買い物をする人たちもいるようです。
4. 自給自足経済が残り、貨幣があまり流通していない
農村部では、自給自足と物々交換で生活に必要なものを融通していて、貨幣を使う機会があまりありません。
さらに、業者に頼まず自分たちで家を建てたり、病院へ行かず伝統の治療法を行うなど、経済を回すことなく「何でも自分たちでやってしまおう」と考える傾向にあるのだそう。
まとめ
日本ではまだあまり馴染みのない東ティモールを紹介してきました。
激動の歴史を経て独立を達成し、20年ほどが経った東ティモール。
その間には日本と大きく関わる出来事もありました。
現在は治安も安定し、少しずつ国の産業を育てています。
また、周りの東南アジアとは歴史や社会構造などでかなり異なる点がみられる、とてもユニークで特徴のある国です。
最後までお読みいただきありがとうございました。東ティモールやアジア理解の一助になれば嬉しいです。
参考文献
- 花田吉隆『東ティモールの成功と国造りの課題ー国連の平和構築を超えてー』2015. 創成社
- 山田満『東ティモールを知るための50章 エリア・スタディーズ』2006. 明石書店
- 南風島渉『いつかロロサエの森でー東ティモール・0からの出発』2000. コモンズ
- 仁井田蘭『私たちの闘いを忘れないでー東ティモール最新レポート』1992. 拓殖書房







