アジアには精霊信仰や呪術などが今でも行われている地域があると聞いたことはありませんか?
実はこうした「見えないもの」を信じるという考えや習慣は、アジアの一部の地域だけにある特別なものではありません。
程度の差はあるものの、アジアの多くの場所では精霊信仰が今でも根付いており、人々は「見えないもの」の力を強く信じています。
この記事では、精霊をはじめとする「見えないもの」へのアジアでの信仰の実態をご紹介します。
この記事を読むことで、アジアの精霊信仰は実は特異なものではなく、日本の習慣とも多くの共通点があるごく自然な現象や考え方であることがわかります。
ラオス
仏教徒の多いラオスですが、仏教と精霊信仰はうまく共存しています。
仏教寺院への参詣とセットで地元の精霊の祠(ほこら)にも参詣したり、豊作を願って精霊を祀る祭を仏教寺院で行う習慣があったり…といったことがごく自然に行われています。
木、森、山、岩などに宿る自然霊や、亡くなった親族の祖霊、または悪霊などが信じられており、それら精霊はまとめて「ピー」といわれます。
ラオスの農村では、至るところにピーを祀る祠が大きな木の根元などにつくられています。
力の強いピーは呪術師に憑依することもあります。日本でいう「イタコ」に似ていますね。
悪いピーの場合、人間の力の及ばない自然災害や病気などとよく結び付けられます。たとえば、自然災害が起こると「ピーが何かに怒っているのだ」と考え、祠にピーの好みの供物などを捧げます。
ラオスは今でも農村人口が多いため、米・農作物の不作や家畜の病気などが生活に直結します。そうしたこともあって、精霊への畏怖の念は根強いのです。
また「見えないもの」を重視するという意味では、「バーシー・スークワン」という儀式もあります。
これは、「人の体に宿る32の魂を体に留める」ための儀式で、幸せや健康を祈りながら白い糸を巻いていきます。
魂が体から離れると心身のバランスが崩れて不幸なことが起こるといわれ、ラオスでは出家・結婚・出産・旅立ちなど人生の節目にはバーシー・スークワンを行います。
タイ
タイでも精霊はピーと呼ばれ、精霊の概念はラオスと共通するところが多いです。
都市部ではピーの存在を信じきれていない人もいる一方、村落では精霊信仰は人々の生活に深く根付いています。
ピーの祠は農村に多く見られますが、実はタイの都市部にもホテルや建物の端に小さな祠があり、人々が手を合わせている光景がみられます。
日本でも少し田舎では住宅地の一角に小さな祠があったり、敷地内に祠がある会社もありますので、こうしたところは日本ともよく似ています。
タイにはピーに対応する専門家がおり、ピーと対話したり、悪いピーを退治したり、あるいはピーを自らに憑依させることもあります。
ピーの種類は、先祖のピー、田んぼのピー、人を襲う悪霊など様々な種類があります。タイで特に有名なものは、次の2つのピーです。
プラカノンのメー・ナーク(ナーン・ナーク):
夫の出征中に亡くなった妊娠中の妻ナークが、夫恋しさからピーとなり、プラカノンの村に災いを起こすというもの。
タイではこの民話を題材にした作品が何度も映画化され、そのたびに大ヒットしています。
ガスー:
頭から下に内蔵をぶら下げて夜な夜な浮遊する女性の悪霊です。昼間はごく普通の人間の姿をしていますが、夜になると頭と内蔵だけが体から抜け出し、緑(または赤)に発光しながら飛び、人や家畜を襲います。
ガスーもタイのホラー映画の超定番モチーフのです。最近は、恋愛やアクションなど様々な要素が融合し、芸術的な評価も高いものが増えています。
カンボジア
カンボジアでは、人生におけるあらゆる機会で占いや呪術が用いられています。
伝統的な民間療法を執り行う「クルー」という呪医が各村ごとにいて、それぞれの分野のクルーが結婚・出産・病気など村人のニーズに合わせて役割を果たします。
たとえば、妊娠・出産を巡っては特に農村部において呪医が活躍しています。
- 妊娠5ヶ月ほどで呪文の書かれた金属片を巻いた帯を妊婦の腰に巻きつける(日本の戌の日の腹帯のようなもの)
- 出産中には部屋に悪霊祓いの印を書きつける
- 出産数日後の赤ちゃんのお披露目の際には、呪術師に儀礼を施してもらう
- 赤ちゃんがなかなか泣き止まない時は、呪医のところへ行き呪文や聖水などを使って治してもらう
亡くなった人の霊が悪霊となることもあり、その悪霊にも様々な種類があります。
そのひとつに、首から下に内蔵をぶら下げて夜空を飛び回る「アープ」があり、これはタイのガスーとほとんど同じです。アープはカンボジアでも映画やドラマの題材になったこともあります。
また、ラオスやタイのように土地の守護霊や祖霊を祀る習慣もありますが、霊が擬人化されて祀られているところがカンボジアの特徴です。
東ティモール
カトリックが多い東ティモールですが、精霊信仰は現在も廃れることなく続いています。
山、川、大地などの自然を大切にし、精霊や「もののけ」が日常の会話の中に普通に出てくるなど、「目に見えないもの」の存在を強く信じています。
この世に存在する命だけでなく、亡くなった人の魂やこれから生まれてくる人の魂の存在についても常に身近に感じ、日々感謝を捧げています。
精霊の宿る自然を大切に敬うことは、人と自然の絆をつなぐことにもなると考えています。
また、呪術の果たす役割も大きく、儀式や祭りをとても大切にしています。
東ティモールには、インドネシア占領下にあった時代に起きたいくつもの「不思議な力」に関する逸話が残っています。
たとえば、「精霊がいつどこからインドネシア軍が攻めてくるかをおしえてくれたので、事前に逃げ切ることができた」という話や、「戦闘でひどい傷を負ったにも関わらず、呪術師の呪いでみるみる傷が回復した」という目撃談などが数多く語られてきました。
ミャンマー
ミャンマーは歴代の王たちの神話が語り継がれ、その中に精霊も登場します。
神話に登場する大木の精霊「マハーギーリー」は、家を守る精霊とされ、現在も一般家庭にはマハーギーリーを表すココヤシの実が祀られています。
ミャンマーの精霊は「ナッ」といい、仏教の伝来以前から信仰されていました。石、木、水など自然のものに宿る精霊もあれば、守護霊や擬人化された個性的なものもあります。
ミャンマーでも仏教と土着の精霊信仰はうまく融合しています。
ミャンマーでは仏教が常に上位で、その下位に土着の精霊たちが位置づけられます。パゴダに行くと仏陀だけでなく様々なナッの象も祀られています。
精霊の祠は「ナッセイン」といわれ、大木の幹などに結び付けられています。
またミャンマーでは、実在した錬金術師や超能力者を「ウェイザー」と言い、死後に祀る習慣もあります。
精霊信仰と同様、ウェイザー信仰も仏教に溶け込んでおり、ウェイザーは「仏教における聖人」という位置づけです。パゴダの境内には仏やナッとともに、ウェイザーの像や祠が造られています。
特に有名なのは、ボーミンガウンという実在した人物で、ほとんどの寺院でボーミンガウン像が祀られています。
インドネシア
インドネシアでは「ドゥクン」と呼ばれる呪術的な力を操るシャーマンのような人が各地域におり、人々は日常生活で起こる様々な問題をドゥクンに頼っています。
ドゥクンの出番は多岐に渡り、出産、病気の治療、精神的な不調、厄除け、願い事、占いなどのほか、「子供が親の言うことを聞かない」などの困り事にもドゥクンが頼られます。
ドゥクンは伝統的な手法で対処しますが、その方法にはかなり個人差が大きいようです。中には黒魔術あるいは白魔術を用いることもあります。
ただ、インドネシアで多数の信者を抱えるイスラム教は一神教であり、このような土着の信仰とは本来は相容れないものです。しかしまだまだインドネシアではドゥクンをはじめとする土着の信仰は根強く、無視できない存在です。
人々は宗教の世界と土着の信仰の世界の両方を器用に使い分けているといえます。
マレーシア
霊や妖怪の総称をマレーシアでは「ハントゥ」といいます。ハントゥは一般的に死者の霊をさすことが多いですが、広義では自然の精霊も含まれます。
「ハントゥを瓶の中に閉じ込めた」とする新聞記事が話題になったこともあるほど、マレーシア人にとってハントゥは身近に信じられている存在です。
ハントゥの中では「ポンティアナック」という、妊娠中に亡くなった女性の吸血霊がとても有名です。日本の妖怪「産女」によく似ています。
マレーシアではポンティアナックをモチーフとしてつくられた映画の数は、1957年から現在まで15本以上にものぼります。日本でいう「貞子」のような位置づけでしょうか。
タイやカンボジアでもみられる、首から下に内蔵をぶら下げている霊もあり、マレーシアではペナンガランといわれます。
実はマレーシアでは一時期、ホラー映画の製作が禁止された期間がありました。それは、マレーシアの「正式な宗教」であるイスラム教との兼ね合いから、「見えない力」を信じることは好ましくない(脅威になる)という議論があったからです。
1994年に禁止令が解除されると、その反動からホラー映画が次から次へと作られました。マレーシアの人達がいかに「目に見えない力」を身近に感じているかを物語っています。
日本との共通点
さて、アジア各地の精霊信仰や「見えないもの」への信仰の中に、日本と多くの共通点があったことにお気づきでしょうか?
お守りを持ち歩く、厄除け・厄祓い、小さな祠を祀る、安産祈願の腹帯、お宮参り、上棟式に地鎮祭…など、「見えない力」を信じてその習慣を守り続けるという点では、日本にもアジアと共通していることが多いです。
また、日本では今も昔も「妖怪」が一大コンテンツとして人気ですが、アジアの精霊の中には日本の妖怪と非常に似ているものも少なくありません。
ちなみに、妖怪漫画家として知られる水木しげるは、晩年には「妖怪の起源は精霊である」と考えていたそうです。
日本もその昔、アニミズム信仰がありました。自然のものに宿る神は、神社となり、日本独自の神道という形に発展していきました。今では、日常とは少し切り離された、特別で神聖な存在です。
一方、他のアジアにおけるアニミズム信仰は、ずっとそのまま土着の信仰として生活の中に溶け込んでいます。
そんな違いはありますが、精霊信仰や自然信仰のルーツにはさほど大きな隔たりはないのかもしれません。
まとめ
日本を含むアジア各地には、目には見えない精霊信仰がありました。
それは宗教のように外来のものが海を越えて世界各地に伝わったのとは違い、各地域にずっと古くから存在する、自然のものに宿る土着の信仰です。アジアの精霊信仰は広範な地域で行われ、さらに共通点も多いことに驚かされます。
このように各地域で自生的に同じような概念が存在し、長い間信仰されていたということを考えると、精霊信仰は特定の地域に限った特異な現象ではなく、むしろ普遍的なものであったとも考えることができます。
多様さを受容してきたアジアにとって、必ずしも原因が解明できない不可解な出来事が起こった時、目には見えない世界として「そのまま受け入れること」もひとつのアジアの特徴なのでしょう。
最後までにお読みいただきありがとうございました。アジアの精霊信仰についての理解が深まる一助になれば幸いです。
参考文献
- 水木しげる・大泉実成『水木しげるの大冒険』1994. 扶桑社
- 菊池陽子他編・著『ラオスを知るための60章』2010. 明石書店
- 綾部真雄『タイを知るための72章【第2版】』2014. 明石書店
- 上田広美他『カンボジアを知るための62章』2012. 明石書店
- 山田満『東ティモールを知るための50章』2006. 明石書店
- 田村克己他『ミャンマーを知るための60章』2013. 明石書店
- 村井吉敬他『現代インドネシアを知るための60章』2013. 明石書店