一人当たりGDPが世界第6位(2022年IMF統計)となり、さらに世界で最も物価が高い国(2022年エコノミスト・インテリジェント・ユニット調べ)ともいわれるシンガポール。
豊かな印象の強いシンガポールには、貧困というイメージはあまりないかもしれません。
しかし、実際にはシンガポールにも貧困は存在しています。
本記事では、一見すると見えにくいシンガポールの貧困問題について解説します。
シンガポールにも貧困はあるの?
シンガポールにホームレスは存在する?
なぜシンガポールでホームレスをみかけないの?
ホームレスたちはどこにいるの?
シンガポールでホームレスになる理由は?
ホームレスへの支援は?
こうしたことについて具体的にみていきましょう。
シンガポールの貧困
どの国にも貧富の差は存在しますが、シンガポールも例外ではありません。
シンガポールは法人税や所得税の低さ、治安の良さ、教育レベルの高さなどを背景に、近年は世界中から超富裕層が押し寄せています。
しかしその一方で、富裕層と貧困層の間の大きな格差が問題となっています。
シンガポールは貧困ラインを国が設定していないため、公的な貧困率は公表されていませんが、民間の調査会社によると人口の約12ー14%が貧困層にあたるというデータもあります。
シンガポールにホームレスは存在する?
「シンガポールにはホームレスは存在しない」といわれることもありますが、それは事実ではありません。
ホームレス問題はシンガポールにも確かに存在しています。
現在、シンガポールのホームレスは約1,000人前後いるとみられています。
しかし、実際にシンガポールの街中でホームレスをみかけることはほとんどといっていいほどありません。
それは、なぜなのでしょうか?
シンガポールでホームレスを見かけない理由
シンガポールでホームレスを見かけない理由はいくつかあります。
昼間は働いている
意外かもしれませんが、シンガポールではホームレスでも昼間はスーパーやファーストフード店などで仕事をしている人も多いです。
そのため、昼間は一般人と同じような暮らしをしており、ホームレスであることはわかりません。
働いているホームレスたちは多少なりとも収入はあるので、「家はないけれども食べ物はなんとかなっている」という状況です。
ただし、高齢のホームレスの場合、シンガポールの公用語である英語が話せない人も多く、低賃金の職業に制限されてしまいます。
比較的清潔にしている
働いている人が多いことも関係してか、ほとんどのホームレスは比較的清潔な見た目をしています。
シンガポールは一年中夏なので、たとえば定期的に公共の多目的トイレなどを利用して簡単に体を洗ってすませるということも可能なようです。
そのため、一見してすぐにホームレスだと明らかにわかる見た目の人は多くありません。
生活圏が違う
ホームレス達が多くいる場所は、観光地やビジネスの中心地からはかなり離れたところです。
シンガポールは地域による物価の差が大きいのですが、中心地から離れた住宅街では、物価もずいぶんと安くなります。
物乞いは禁止
シンガポールでは、公共の場で常習的に物乞いをし、それにより人に迷惑をかけたとみなされた場合には、罰金または懲役刑で有罪となることがあります。
シンガポールで物乞いはほとんどみかけないことから、シンガポールではホームレスなどのお金に困っている人はいないと思うかもしれませんが、実際には物乞いをしたくてもできない事情があるのです。
路上にいないホームレスもいる
ホームレスというと、まず路上生活者をイメージするかもしれません。
しかし、ホームレス=路上生活者ではありません。
2023年現在、シンガポールのホームレスのうち、路上で寝泊まりしているのは約6割前後です。
残りのホームレスたちは、コミュニティ・クラブ*や慈善団体、宗教団体などによって用意されたシェルターで寝泊まりしています。
*コミュニティ・クラブ(CCs)とは?:
シンガポール人意識の醸成や社会的つながりの強化を目的とし、シンガポール全土に100以上建設されている施設。CCsでは、スポーツや各種講座、社会文化活動を行うことができるが、一方で地域住民の動向把握も目的としており、政府与党とも密接につながっている。近年は、ボランティアや慈善活動の役割も担っている。
次では、具体的にシンガポールのホームレスがどのように暮らしているかをご紹介します。
シンガポールのホームレスはどこにいるの?
ホームレスたちは、具体的にどのようなところに住んでいるのでしょうか。
いくつかのタイプを紹介します。
路上での寝泊まり
ホームレスのうち約6割前後は路上で寝泊まりしています。
彼らは夜になると駅の周辺、公園、閉店後のホーカーズ(常設の屋台街)、HDB(シンガポール人の8割が暮らす公共住宅団地)の共有スペースや踊り場などに段ボールを敷いて寝ています。
シンガポールではソーシャルワーカー達が積極的に活動し、こうした路上生活者に声をかけ、後述する夜間宿泊場所やシェルターなどを案内しています。
2019年から2022年にはホームレスの全体数はほとんど変化していませんが、ソーシャルワーカーたちのはたらきかけもあって、ホームレスのうち路上生活者の数は約40%減少しました。
しかし、路上生活者を説得するのは容易ではありません。
シェルターや夜間宿泊場所には単身で部屋を利用できる制度はなく、ほとんどが複数名と生活スペースを共用しなくてはいけないため、そうした制度を使いたがらない人も多いです。
また、長年の路上生活に慣れてしまった人は、危険だとわかっていても、やはり気ままに生活できる路上生活を続ける場合も少なくありません。
夜間宿泊所(S3Ps:Safe Sound Sleeping Place)
S3Psとは、夜間のみ寝泊まりができるスペースで、コミュニティ・クラブの建物や慈善団体・宗教団体が所有する施設の空きスペースや地下駐車場を夜だけ開放しています。
広いスペースに複数人が共同で寝泊まりしているのです。
利用登録が必要ですが、スペースに空きがあれば数日で利用許可が下ります。
ただし、あくまでも臨時措置として場所を提供しているため、一人のホームレスの滞在期間は基本は2週間までとされています。
さらに、利用可能時間は夜から翌朝までに限定されており、門限などのルールを守れない場合は追い出されてしまうこともあります。
一時シェルター(TS:Transitional Shelter)
経済的に困窮しているホームレスの家族や個人のために用意された宿泊施設です。
前述のS3Psとは違い、利用時間制限や門限はありませんが、1世帯分のスペースを別の1~2世帯と分割して住まなければなりません。
手狭ですが、各世帯ごとに個室が与えられるため、S3Psよりはプライバシーが確保されます。
政府の補助金によって賄われているため家賃は格安です。
ソーシャルワーカーの仲介が必ず必要で、入居するには審査があります。非常に人気のため、入居までは何か月も待つ必要があります。
シンガポールの一般的な住宅事情
参考までに、一般的なシンガポールの住宅事情もご紹介します。
シンガポールは土地が狭いため、その住宅事情は独特です。
高級コンドミニアムや一軒家
シンガポールのごく一部の超富裕層のみが暮らしているのは、コンドミニアムや土地付き一軒家です。
中でも一軒家を持つことができるのはシンガポール人の所得上位約5%のみといわれ、その価格は日本円にして20-30億円程度にも相当するようです。
HDB(Housing Development Board:住宅開発庁)住宅
国民の約8割はHDBという高層の公共住宅団地に暮らしており、シンガポールの最も一般的な住宅です。
部屋数や新築か中古かなどの条件によって、価格は1,000万円~8,000万円程と非常に大きな幅があります。
シンガポール政府は、HDB購入時の補助金や税制優遇制度を導入するなどして持ち家政策をすすめ、現在ではシンガポールの持ち家率は約90%にも及びます。
ただし、シンガポールでは不動産価格の上昇によりHDB価格も高騰が続いており、HDBの購入も年々厳しくなってきています。
HDB公共賃貸
前述したHDBの賃貸バージョンです。
シンガポール政府は持ち家を推奨しているものの、低所得者向けに補助金付きでHDBを賃貸できるシステムがあります。
ホームレス(路上暮らし、シェルター暮らし)から脱却する最初のステップとしてHDB公共賃貸を利用する人も少なくありません。
HDB公共賃貸への入居には条件があり、収入、世帯人数、住宅予算などの個別の状況に基づいて審査されます。また、私有財産がある人は申請できません。
特にコロナ後は入居希望者が増えたことで、希望者が必ず入居できるわけではなくなってきています。
HDBの賃貸プランは、大きく家族用の「ファミリー・スキーム」と単身用の「ジョイント・シングル・スキーム(JS)」に分かれます。具体的にみてみましょう。
1.ファミリー・スキーム
家族向けプランで、21歳以上のシンガポール国民であれば申請でき、かならず家族または婚約者ともに住むことが条件となっています。
世帯月収や部屋数などにより家賃は異なりますが、最安で一か月3,000円程度から借りることができます。
2.ジョイント・シングル・スキーム(JS)
2人1組で申請し、審査が承認されれば、ワンルームのHDBを共同で賃貸できます。
同居人はソーシャルワーカーを通じてマッチングしてもらうこともできます。
ホームレスになる理由
では、シンガポールでホームレスになってしまう理由にはどのようなものがあるのでしょうか。
最も多い理由は、事業の失敗や離婚、病気の治療などにより一時的に多額の支払いが必要となって家を売り、買い戻すつもりがそのまま買い戻せず、賃貸料も払えなくなりホームレスになってしまったというケースです。
何らかの理由によって一時的に多額の支払いが必要になる事態はいつでもどこでも誰にでも起こりうることです。
シンガポールの場合、物価高や不動産価格の上昇をはじめとする社会の変化のスピードがあまりに早すぎ、その波に乗れなかった人たちが一度でもつまづいてしまうと、挽回できずに置いて行かれ、ホームレスとなってしまうケースがとても多いようです。
ホームレスになった原因が必ずしも自業自得とはいえないという状況の人々は多く、シンガポールで生きることの厳しさが垣間見れます。
ホームレスへの支援の形
時代に取り残されてしまったといってもよいシンガポールのホームレスですが、シンガポールには彼らに手を差し伸べる人たちやしくみがあります。
ソーシャルワーカーによるサポート
シンガポールでは、社会家族開発省(MSF: Ministry of Social and Family Development)が低所得者政策を担当しており、MSFのソーシャルワーカーたちが活発に活動しています。
路上生活者に声をかけてシェルターへの移動をすすめたり、そのために必要な手続きをサポートするといった体制が整えられています。
若くバイタリティーに溢れたソーシャルワーカーたちが多数活動し、精力的にホームレスたちにはたらきかけているのです。
上述したように、シンガポールには様々なタイプのホームレスや低所得者向け住居があり、入居できる条件も様々ですが、熱意に溢れたソーシャルワーカーたちがそんな複雑な手続きをうまくサポートしています。
ボランティアによる食料配布
シンガポールには、政府以外にもホームレスをサポートしているボランティアや慈善団体が多数あります。
一時宿泊場所の提供、無料での食料配布、職業訓練やカウンセリングの提供など、さまざまな取り組みが行われています。
たとえば、その中の一つ、Willing Heartsは、すべてボランティアだけで構成された慈善グループによる食料配布活動を行い、「アジアのノーベル賞」ともいわれるマグサイサイ賞を受賞したこともあります。
まとめ
一見華やかで豊かに見えるシンガポールにも、貧困は存在しています。
税率が低く治安も良いことから、富裕層にとっては「住みやすい国」といえるシンガポール。
一方、貧困層にとっては生活費の高騰が生活を圧迫しつづけ、いつ何がきっかけでホームレスになってしまうかわからない過酷な世界でもあります。
そして、ホームレス=路上生活者ではありません。
シンガポールでは路上生活者は減っていますが、ホームレスの数自体はあまり変化しておらず、見えないところで貧困やホームレス問題は存在しています。
それに対し、シンガポール政府は国民の状況に合わせて様々な救済策を講じ、また慈善団体やソーシャルワーカーたちも積極的に問題解決のために動いています。
特に、若くエネルギー溢れる多数のソーシャルワーカーたちがいることに、シンガポールの貧困問題への希望の光を感じます。
シンガポールの貧困・ホームレス問題を理解する参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考文献
田村慶子編『シンガポールを知るための65章【第5版】』2021. 明石書店