映画『カンタ!ティモール』は、東ティモールという国をぎゅっと凝縮させたようなエッセンスが詰まった映画です。
東ティモールは2002年に独立した若い国ですが、独立までの過程はあまりにも壮絶で、良くも悪くも東ティモールが語られる時にはその点に多くの注意が向けられがちです。
けれどこの映画は、おそらく他ではあまり描かれていない東ティモールのごく普通の人たちの持つ「世界観」、あるいは哲学ともいえるようなものにも焦点をあてています。
東ティモールの人々のそんな世界観も知ることができる、映画『カンタ!ティモール』をご紹介します。
↓東ティモールという国についてはこちらの記事でも詳しく紹介しています。

映画『カンタ!ティモール』とは
『カンタ!ティモール』は、2012年製作の広田奈津子監督の作品。
広田監督は、2002年に縁あって東ティモールの独立式典に参加し、それ以来何度も東ティモールに通い、東ティモールの人々と交流する中で彼らの世界観に触れ、「これを映画にして多くの人に伝えなければ」と、全くの映画製作初心者の状態でこの映画を作りました。
映画のタイトルになっている「カンタ(canta)」は「歌う」という意味。タイトルどおり、この映画は東ティモールの人たちが歌う温かい歌であふれています。その歌詞の意味を考えることも、映画のテーマの一つです。

東ティモールの壮絶な歴史の証言
映画は、東ティモールが経験した独立までの長い闘いの道のりを振り返るところから始まります。
東ティモールの独立前、当時東ティモールを占領していたインドネシア軍とインドネシア併合に賛成する東ティモール人民兵は、占領に反対するデモ参加者や独立派ゲリラ、さらには民間人に対しても攻撃し、国民の3分の1が亡くなったとまで言われるほどの多大な犠牲を出しました。
映画の中では、大切な人や家族のほとんどを失った人、自分自身もなんらかの被害にあった人など多くの人が証言を寄せています。
そして、この映画では東ティモールの歴史に日本も関わっていた事実にも触れられています。これはほとんど日本で知られていないことでもあり、日本人としてショックであると同時に、これを知らなかったという事実に心が苦しくなります。
東ティモールと日本の関わり
東ティモールを占領していたインドネシアは、1958年の平和条約で国交が結ばれて以来、日本とはおおむね良好な関係を築いてきました。それは、インドネシアが1975年に東ティモールを軍事侵攻し、翌年インドネシアに東ティモールを「併合」してからも変わりませんでした。
インドネシアの東ティモール占領の非人道性には世界中から批判が集まり、国連ではインドネシア軍の東ティモールからの撤退決議が行われました。しかし日本は撤退に「反対」票を投じました。
その理由は、東ティモール沖の石油をインドネシアから輸入してもらうため。
軍を撤退させないインドネシアに対して、ヨーロッパ各国は資金援助を打ち切りますが、日本はその分を補ってまで資金援助していたのだそうです。日本は、東ティモールの人の平和と引き換えに得た石油の恩恵を受けていたということになります。
そんな東ティモールは、2002年に独立しました。しばらくは治安が不安定な時期が続いていましたが、現在では政治的にも安定し治安は落ち着いています。ただ、経済的にはまだまだ貧しく、多くの余地が残されています。
このように東ティモールはインドネシアからの独立までに多大な犠牲を強いられましたが、映画の中ではその経験を振り返る東ティモールの人々の言葉や、彼らのごく普通の日常から、彼らの持つ「世界観」が徐々に見えてきます。
東ティモール人の世界観

映画の中で垣間見られる東ティモール人の世界観には、次のようなことがあります。
世界観1:みんな同じ
彼らの言動の根底には、ある共通した考えがあります。
それは、「みんな、同じだから」ということ。
映画にはそのことがわかるいくつかのシーンが出てきます。
「悲しみは残るけれど、もう恨んでいない。独立したのだから。インドネシアも日本も、みんな同じ」
しかし、東ティモール人の独立派ゲリラは、インドネシア兵を捕虜として捕えた場合も自分達の目的を伝えて対話した後、無傷で返していた。
「みんな、同じだから」ということは、もう少し噛み砕いて言うと次のようなことです。
とはいえ、自分や仲間たちを苦しめ、傷つけた側の人間すらも、自分と同じだと言えるというのは、あまりにも達観しすぎていて理解するのは容易ではありません。
もしかすると、この世に存在しているものや目に見えているものだけでなく、ものすごく壮大なスケール(たとえば、魂とか宇宙とかのレベル)で、彼らはものを考え、日常を生きているのではないかとすら思えます。
実際に東ティモール人の中には、「インドネシアからの独立を達成できたのは、生きている人だけでなく、もう亡くなった人の魂や、これから生まれてくる命までも味方してくれたからだ」と考えている人もいました。
東ティモール人の世界観は、自然との関わり方にも表れています。
世界観2:見えないものへの敬意
「目に見えないもの」の存在を強く信じており、日常会話の中で
「精霊のおかげだ」
「さっき、”もののけ”がいたよ」
などの会話のやりとりが繰り広げられています。
精霊は東ティモールに限らず、木や山など自然のものに宿るといわれますが、彼らは自然(山や川や大地)を大切に敬い、人と自然の絆を切ることはできないといいます。自然をおろそかにすると、人と人とのつながりも切れてしまうのだそうです。
映画の中では、「だから日本では自殺する人が多いんだね」というくだりがあり、ドキっとしました。
自然も人も、みんな同じ。争ってはいけない。争えば大地が悲しむ。そして人のつながりが切れる。
そういう世界観が、東ティモールでは当たり前に受け継がれているようです。
日本にも共通する思想
例えば、哲学者の梅原孟は「草木国土悉皆成仏」が日本の自然観、哲学、思想だと言いました。
つまり、草や木はすべて命があって、仏になれるということ。
そして、日本のみならず世界中のあちこちで、かつて「アニミズム思想」があったことは知られています。人間や動物などの生物だけでなく、無機物も含めたすべてのものに霊が宿るという考え方です。
目に見ることができなくても霊を心で感じようとする、こうした思想が、世界のいろいろな地域にもかつて存在し、東ティモールのように日常的に今もその考えが息づいている場所がきっと他にもたくさんあるはずです。
現在の日本でも、たとえば熊野や出雲や伊勢に行けば、姿は見えずとも神の存在を感じ、信じようとします。感謝を伝え、祈りを捧げます。あるいは、屋久島の縄文杉を目の前にして、何も感じない人などいないでしょう。
そんなふうに、見えないものを信じようとしたり、自然からパワーを感じたりする人間の気持ちは、実は山や川を敬う東ティモール人と大きく変わらないのではないかと思えます。
私たちは常時、神や精霊の存在を意識していないけれど、東ティモールの人たちはそれをいつどんな時も感じている。もしかしたら違いはここくらいなのかもしれません。
だから、きっと映画の中で観られる東ティモールの人々の考え方も、一見すると、東ティモールだけにある特別な考えであるかのように思えますが、実はそれほど特別なものではないのかもしれません。
そんなことを考えさせてくれる、素敵な映画です。
まとめ
なかなか身近に感じる機会の少ない東ティモールの歴史や日常を知れるだけでなく、東ティモール人の世界観に触れられ、さらにその世界観を私たち自身にも引き寄せて考えることのできる、とても貴重で素敵な映画『カンタ!ティモール』を、ぜひチェックしてみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




