シンガポールのラッフルズホテル(ラッフルズ シンガポール)は、誰もが知る名所であり、シンガポールを代表する名門ホテルです。
そして、シンガポール川沿いのラッフルズの上陸地点と言われる場所には、高層ビルを背景にして堂々と佇むラッフルズ像が立っています。
また、2019年にはラッフルズのシンガポール上陸200周年記念のセレモニーがシンガポールで盛大に行われました。
「ラッフルズガーデン」や「ラッフルズプレイス」など、ラッフルズと名がつく場所もシンガポールにはいくつかあります。
まさにラッフルズはシンガポールのアイコン的存在ですが、ラッフルズはなぜシンガポールで今もこれほど愛されているのでしょうか?
この記事では、ラッフルズという人にフォーカスし、ラッフルズがシンガポールで愛されている理由を探ってみたいと思います。
トーマス・スタンフォード・ラッフルズとは?

ラッフルズの略歴をご紹介します。
- 1781年 イギリスに生まれ、14歳で東インド会社の臨時社員となる
- 1805年 ペナン島に書記補として赴任
マレー語翻訳官を兼務し、現地住民の法律や慣習の研究、マレー法の編纂なども行う - マラッカに赴任し、イギリスのジャワ遠征のための調査や東洋研究を行う
- 1811年 当時オランダ領だったジャワのバタヴィアに副総督として上陸
ジャワ社会の研究、土地改革、福祉政策、貿易政策に取り組むが、1816年にジャワがオランダに返還される - 激務による疲労や家族の死が重なり、心身を病みイギリスへ一時帰国
- スマトラのベンクーレン(ブンクル)に副総督として赴任
奴隷貿易の禁止、強制栽培の廃止、土地改革、農業の改善、教育改善に取組む - 1819年 シンガポールに上陸
関税を廃止した「自由港」とし、商業の一大中心地として繁栄に導く
このように、ラッフルズはシンガポールだけでなく、ペナン、マラッカ、ジャワ、スマトラなどの地域とも非常に関係の深い人物でもありました。
ラッフルズによるシンガポールの「獲得」と「建設」
さて、ラッフルズはシンガポールを「獲得」「建設」した人物だとよく表現されますが、これはいわゆる「植民地化」とは少し違います。
ラッフルズは領土拡張ではなく、「イギリスの商業的利益確保」を目的としてシンガポールに上陸しました。
この時期のイギリスのアジア進出は東インド会社社員の個人の意向が大きく、領土拡大のために植民地を開拓する機運が本格的になるのは、もう少し後の時代です。
では、ラッフルズによるシンガポールの「獲得」と「建設」とは、どのようなものだったのでしょうか。
シンガポールの「獲得」とは?
当時、シンガポールを管轄していた王権の継承争いに乗じ、ラッフルズは独断で王を擁立しました。そして幾度にもわたる交渉で、下記のことを段階的に認めさせました。
- イギリス商館の建設
- 一部地域をイギリス支配圏とする
- イギリスによる貿易の管理
- 税の徴収
- イギリス法の施行
シンガポールの「建設」とは?
ラッフルズは、目先の利益だけではなく長期的な視野でシンガポールの将来を見越し、
1822年頃から下記のような計画を実行していきました。
- 関税のない「自由港」とする
- 司法制度の整備
- 奴隷貿易や賭博の禁止
- 計画的な都市建設
- 法律の起草
- マレー語教育機関や東洋研究機関の設立
これらをまとめると、まさにシンガポールの「獲得」と「建設」といえます。
とはいえ、ラッフルズの上陸がその後のイギリスによるシンガポールの植民地化のきっかけとなったことも確かです。
ラッフルズってどんな人?人柄がわかるエピソード
ラッフルズの助手を務めたことのあるマラッカ出身のアブドゥッラーという人物は、
自伝の中でラッフルズについて次のように書き残しています。
ラッフルズ氏はいつもマレー人に親しみのある態度で接するのを好んでいた。貧しい人でさえ彼と話をすることができた。マラッカの地位の高い人たちは皆、白人もマレー人も、毎日のように彼に会いに来た。
出典:アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』1980. 平凡社
ラッフルズの態度は、いわゆる「植民者」として一般にイメージされるものとは全く違っていたようです。
さらに、このようにも述べています。
彼の語る一言一言は純粋で、誠意がこもっていた。彼は一度も尊大な態度を取ったり、他の人々を見下したりはしなかった。それは今でも私の心の中に残っている。(中略)ラッフルズ氏のように、その性質が人々の心をとらえてしまうほど立派で、そして親切な人を私は知らない。もし私が死んで、もう一度この世に戻ってきたとしても、彼ほどの人にはめぐり会えないだろう。
出典:アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』1980. 平凡社
これだけで、ラッフルズという人がどんな人か想像できそうな文章です。
では、ラッフルズの人柄がわかる特徴を具体的なエピソードとともにご紹介します。
ラッフルズの顔1 苦労と努力の人
ラッフルズは、超がつくほどの努力家でした。
堂々と佇むラッフルズ像からは想像できないほど、苦労と努力の連続の人生を送ってきた人だったのです。
子供の頃に十分な教育が受けられなかったラッフルズは、東インド会社に入社後も毎日8時間を読書・研究・執筆などにあてました。
最初の赴任地ペナンへ向かう船上でマレー語を習得し、その実力は翻訳官を兼任するほど。
努力家で経験と知識も豊富なラッフルズは異例の早さで昇進しますが、そのことで同僚から嫉妬を買い、心を病んでしまうこともありました。
激務により何度も体を壊し、赴任先で家族を次々に亡くす悲劇も経験しています。
思わしい利益を上げることができず、志半ばにして挫折を余儀なくされる経験も数知れず。
その努力に対してあまりにも多くの失敗と挫折を経験した人生だったのです。
ラッフルズの顔2 偉大なアジア研究者

ラッフルズは赴任先のあらゆる地域で植物や昆虫採集、書物収集、現地の慣習の研究など現地調査を徹底的に行いました。
ジャワ滞在中に研究したジャワの社会制度、文学、文化、自然、風土などは「ジャワ誌」として出版され、イギリスの東洋学研究に大きな功績を残しました。
そうして得た深い知見は、職務においても存分に活かされました。
実はシンガポールの開港は、東インド会社の命令ではなく、ラッフルズ自身の判断でした。
地政学的観点など諸々の要素から、「シンガポールを獲得することが将来のイギリスの長期的発展につながる」と考え、自身の経験と考えを信じてシンガポール開港を決行しました。
ラッフルズの顔3 自由主義者
ラッフルズは自由主義者でもありました。
シンガポールを関税のかからない「自由港」とした時、東インド会社の内部から多くの反対意見がありました。しかし、ラッフルズは会社の反対を押し切ってシンガポールを自由港として維持させました。
なぜなら、ラッフルズにとってシンガポール開港の目的はイギリスの商業的利益であり、イギリスと現地の住民の間に「自由な商業」を行うことが、結局は相互的な利益に結び付くと考えていたからです。
そのため、圧政や強制労働、独占など細部にわたる住民の管理は行いませんでした。
一般的に植民地で行われるような強制労働や搾取は、少なくともラッフルズの時代のシンガポールでは実施されていなかったのです。
実際、ラッフルズのような「自由主義」の考え方はやがて世間の主流となります。
自由貿易を選択したラッフルズの先見の明により、シンガポールは時代の波に乗ることができ、その後の長い繁栄の時代を享受したといえるのです。
ラッフルズがシンガポールで今も愛されている3つの理由

では最後に、ラッフルズがシンガポールで愛され続けるその理由を3つまとめてみたいと思います。
1.シンガポールに与えた恩恵の大きさ
シンガポールはマレー半島の先端に位置する、東京23区ほどの大きさの島です。
ラッフルズが来るまで、住民はたった200人ほどの何もない港町でした。
ラッフルズが開港させてから、わずか約1年で人口は約1万人にまで増え、あっという間に「自由港」として商業の一大中心地となってしまったシンガポール。
これはまぎれもなく、ラッフルズによってもたらされた繁栄です。
ただ、もともとこの地域に既得権益を持っていた現地の有力者は、ラッフルズによりその力を弱められてしまった事実もあります。しかしそれを差し引いても余りあるほど、シンガポールという地域全体に、ラッフルズがもたらした恩恵は大きなものでした。
2.シンガポールで移民が繁栄した
ラッフルズによるシンガポールの開港をきっかけに、中国をはじめ東西のあらゆる地域からシンガポールへの移民は爆発的に増えました。
第一次世界大戦の前には、中国南部出身の華人はシンガポールの人口の7割までに達していたといいます。
自由港として人の往来も容易になったシンガポールに移民して繁栄した人々の祖先が、現在のシンガポール国民の大多数です。
そして、その繁栄のきっかけを作ったのが、紛れもなくラッフルズその人だったのです。
3.ラッフルズの人柄
最後は、やはりラッフルズの人柄が愛されたのではないかと思います。
意外かもしれませんが、ラッフルズはシンガポール開港後も、生活の拠点をスマトラのベンクーレン(ブンクル)に置いていたため、シンガポールに滞在していた期間はさほど長くありませんでした。
しかし、シンガポール以外のペナン、マラッカ、ジャワ、ベンクーレンなどからも、彼の礼儀正しく努力家で思慮深い人柄は十分伝わっていたのではないかと思います。
まとめ
ラッフルズがシンガポールで今も讃えられている理由は、次の3点です。
- シンガポールにもらたした恩恵
- シンガポールで移民が繁栄した
- ラッフルズの人柄
アジアを理解しようと努め、研究し、心から愛し、そして今でもシンガポールで愛されているラッフルズ。
シンガポールを訪れることがあれば、ぜひラッフルズという人物に思いを馳せてみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考文献:
- 信夫清三郎『ラッフルズ伝』1968. 平凡社
- アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』1980. 平凡社
- 古田元夫『東南アジアの歴史』2018. 放送大学教育振興会





