ベトナムは昔、中国だった
そんな話を聞いたことはないでしょうか。
実際、ベトナムと中国にはよく似ている点がいくつも見受けられます。
たとえば次のようなものがあります。
そもそも東南アジアは中国やインドの影響を大きく受けている地域ですが、その中でもベトナムは、中国と似た要素がダントツで多いようです。
この記事では「ベトナムは本当に中国だったのか」ということを検証しながら、ベトナムと中国とのつながりを明らかにしていきます。
この記事を読むことで、この2カ国に似ている要素が多い理由がわかります。
ベトナムと中国はなぜ似てる?歴史を紐解くと見えてくる背景
ベトナムは本当に昔は中国だったのでしょうか。
実は、ベトナムの領土がほぼ現在の形になったのは19世紀初めのことです。
それ以前の時代に、北部から中部にかけての地域が、中国王朝の直接支配下に置かれていた時期が確かに存在しました。
今回は、その「ベトナムの一部が中国だった時代」について、歴史をたどりながら見ていきましょう。
ベトナムが中国の一部だった時代は2回ある
ベトナムの一部が中国の領土になった時期は、大きく分けると「2回」あります。
- 紀元前111年~938年までの約1000年間
- 1407年-1428年までの約20年間
それぞれの時期にどんな統治がなされ、どのような要素が伝わったのでしょうか。
1度目の中国統治(紀元前111年~938年)とその影響
1度目にベトナム北部が中国に統治されていた時期は、紀元前111年~938年の約1000年間。
現在の中国の広東~ベトナム北部の辺りにあった「南越」という国が中国の漢王朝に滅ぼされ、現在のベトナム北部地域は中国の直接支配に置かれました。
この時代は「北属時代」と呼ばれることもあります。
自らの民族の文化や歴史に誇りを持っていたベトナムの人にとって、大変辛く厳しい時期でした。
さらに7世紀はじめには、北部地域に続いて中部地域までも中国が支配します。
そして、938年にやっと中国の王朝の支配から独立すると、1009年には「大越国」と名乗り、首都はハノイに定められました。
1度目の統治期に中国から取り入れた文化・制度

1度目の中国による統治時代にベトナムに取り入れられた要素には、以下のものがあります。
儒教
中国文化の普及として儒教が導入されました。
しかし、この時期に中国から導入された儒教は一般の人々の生活にはそこまで浸透しませんでした。
人民は中国による統治前からのベトナム独自の文化や精神を堅持しようとし、まだ本当の意味で儒教を受容してはいなかったのです。
中国仏教
仏教もこの時期にベトナムに伝わりました。
中国南部から伝来した仏教は、儒教や道教とともに受け入れられ、信仰や思想面で大きな影響を与えました。
のちのベトナムでも、中国由来の禅宗などが重視され、仏教が政治や文化の柱となっていきます。
こうした中国仏教の導入は、ベトナムに中国的な思想や制度が定着する背景の一つとなりました。
漢字
漢字も伝わり、ベトナムは日本や朝鮮半島と同じ漢字文化圏となりました。
ベトナムでは19世紀半ばにフランスによる植民地化を迎えるまでは漢字が公式の文字言語でした。
また、公式文書では1945年のベトナム民主共和国の成立まで漢字が使用されていました。
13世紀頃にはベトナム風の固有文字である「チュノム(字喃)」の使用も盛んになりました。
- ベトナム語の持つ独特のリズムが漢字よりも良く表現できるように作られた、漢字ベースの文字体系
- 11世紀ごろから使われ始め、19世紀には文学や記録にも広く使用されたが、フランス植民地期にアルファベット表記に取って代わられ、現在はほとんど使われていない
このチュノムは、ベトナムの独自性を支える大事な要素となりました。
長子の王位継承制・官僚制度による集権的国家
「長子の王位継承制」と「官僚制度による集権的国家」は、1度目の中国支配からの独立後に、ベトナムが自発的に取り入れた中国的要素だといわれています。
というのも、独立直後のベトナムでは王の地位や王位継承に関するルールはまだ確立されておらず、政権は不安定でした。
これでは強い国家をつくることができません。
さらに中国(宋、元、明、清)がたびたび軍事攻撃をしかけてくる状況が続いていました。
そこで、強い国家を作る手段として、中国の体制を取り入れることにしたのです。
つまり、中国から自立するため、あえて中国の要素を取り入れたということです。
中国から独立した後の10世紀から徐々に時間をかけて国家体制が整えられますが、独立直後よりも時間が経っていくほど中国的要素は濃くなっていきました。
2度目の中国統治(1407年~1428年)とその影響
2度目の中国による統治は、1407年に胡朝が滅亡し、明朝が支配を始めた時期から始まります。
(※軍事的な侵攻は1406年から開始)
この時期にベトナム北部は、20年間という短期間ですが、明の直接支配を受けました。
2度目の統治期にベトナムが取り入れた中国の要素

この2度目の統治期にベトナムが取り入れた中国の要素は以下のものがあります。
中国式法制度・科挙制度の整備
中国の制度をさらに本格的に取り入れると同時に、ベトナム独自の社会制度(女性の地位の高さ、財産権など)も維持していました。
儒教を基盤とする統治
1度目の中国統治の時期には一般民には根付かなかった儒教ですが、この時期にはベトナム土着の習慣とも融合し、独自の宗教ができあがるまでになりました。
そして、それに基づいた統治が行われるようになりました。
ベトナムが中国の要素を取り入れた意外な理由とは?
このように、ベトナムに中国的な要素が多く見られるのは、長い間、中国による直接統治を受けたことが大きな理由です。
しかし、それだけではありません。
実は、ベトナムが中国から独立した後も、自ら進んで中国の制度や文化を取り入れたことが、両国の類似点を深めたもう一つの重要な理由なのです。
では、なぜ独立した後もベトナムは中国的な要素を受け入れたのでしょうか?
当時のベトナムでは、中国の制度や思想を取り入れることは「中国化」ではなく、「文明化」の一歩と考えられていました。
文明の中心にある中国を「北の国」、ベトナムはそれに連なる「南の国」と捉え、自らも文明国の一員としてふるまおうとしたのです。

古田元夫『ベトナムの世界史:中華世界から東南アジア世界へ』を参考に筆者作成
ただし、これは中国への服従を意味するものではありません。
ベトナムは一貫して、「私たちは中国とは異なる独自の文化と王朝の歴史を持つ、独立した国家である」という意識を強く持ち続けていました。
こうした「南国としての自立意識」は、2度目の中国支配を乗り越えたことでいっそう強まり、ベトナムは自らの文化的アイデンティティに確信を持つようになっていきます。
19世紀にフランスの植民地となるまでは、ベトナムには「中国と同等の文明国であり、他の東南アジア諸国とは一線を画す」という意識が存在していました。
15世紀以降のベトナムと中国の関係
では、2度にわたる中国統治から独立した後のベトナムと中国との関係を簡単にみていきましょう。
19世紀はじめにはベトナムの領土が現在とほぼ同じになり、国名は「越南(ベトナム)」となりました。
科挙制度の整備、省や州などの行政区画化、集権化などが進み、ベトナムはますます中国の制度を取り入れてさらなる「中国化」をすすめ、引き続き中国の歴代王朝との朝貢関係を続けていました。
しかし、19世紀にフランスがベトナムに介入したのをきっかけに、中国とベトナムの関係は突如終わりを告げます。
中国(清)はフランスに敗北し、ベトナムを放棄します。
そしてフランスによるベトナムの支配が始まり、中国の影響を受けた文化や制度は消えてゆきます。
科挙官僚制度、漢字、チュノムは廃止され、ベトナム語もローマ字表記に変えさせられました。
これにより、中華世界における「北国」、「南国」という観念はなくなっていきました。
その後、ベトナムでは中国的な要素は少しずつ薄れ、それに代わるように、東南アジアとの関わりを強めるようになります。
今では当たり前となった「東南アジアの中のベトナム」という位置付けは、こうして少しずつ定着してくるようになりました。
まとめ:ベトナムと中国が似ている本当の理由
ベトナムと中国には、共通する要素が数多く見られます。
歴史をたどると、ベトナムはかつて2度にわたり中国の支配を受け、中国の一部として統治された時期がありました。
その影響で、政治制度や文化、文字など中国の特徴がベトナム社会に強く反映されるようになりました。
しかし、それだけではありません。独立後のベトナムが「強い国づくり」のために、中国の制度や文化を自発的に取り入れたことも大きな要因です。
当時のベトナムは、中国を「北国」、自国をそれに並ぶ「南国」ととらえ、中華文明の一員であると同時に、独立した国家としての意識を持っていました。
その後、19世紀にフランスの植民地支配を受けると、中国的要素は次第に薄れ、ベトナムは「中華世界」から「東南アジア」へと位置づけが移っていきます。
こうした歴史が、今もなおベトナムと中国が似ている理由を形づくっているのです。
本記事では、ベトナムに中国の要素が多くみられる理由とその背景について解説しました。
ベトナムの歴史やベトナムについての理解が深まりましたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
↓ベトナムの社会主義の実態についてはこちらの記事で紹介しています。
↓おすすめのベトナム映画はこちらの記事で紹介しています。
↓アジアの中でよく似ているいわれるマレーシアとインドネシアについてはこちらの記事で解説しています。
↓東南アジアでよくみられる中国的要素については下記の記事で紹介しています。
参考文献:
- 古田元夫『増補新装版 ベトナムの世界史:中華世界から東南アジア世界へ』東京大学出版会. 2015
- 古田元夫『東南アジアの歴史』2018. 放送大学教育振興会
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