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東南アジアの映画事情ー映画から見えてくるリアルな東南アジア

Southeast Asian movies 映画で学ぶアジア
映画で学ぶアジア

この10年ほどで東南アジア映画を目にする機会が断然増えました。

以前は映画祭や自主上映などでしか上映されていなかった東南アジア映画ですが、最近では一般の映画館で上映されたり、各種動画配信サービスでも観ることができるようになりました。

本記事では、そんな東南アジア映画についてご紹介します。

東南アジア映画にはいくつかの特徴がありますが、それらを踏まえて東南アジア映画を観ることで、それまで見えていなかった新しい発見があるかもしれません。



東南アジア映画の共通点

東南アジアの映画事情にはいくつかの共通点があります。

ホラー映画パラダイス

東南アジアでは全般的にホラー映画が異常なほどに人気で、常に何らかのホラー作品が映画館で上映されているといっても過言ではありません。

東南アジアでは伝統的な定番モチーフが登場するホラー映画が常に人気です。

アジアのホラー映画の定番モチーフ:

  • ガスー(タイ)
  • ピーポープ(タイ)
  • メーナーク・プラカノン(タイ)
  • アープ(カンボジア)
  • クンティラナック(インドネシア)
  • ポンティアナック(マレーシア)
  • ペナンガラン(マレーシア)

東南アジアのホラー映画は見た目の怖さも重要で、かなりショッキングなビジュアルをした妖怪が登場することが多々あります。

東南アジアでホラー映画が人気なのはなぜでしょうか?

理由の一つとして、昔から精霊信仰が根付いており、「見えないもの」を信じる人々が多いことが影響していると考えられます。

国産映画はあまり観ない

意外かもしれませんが、東南アジア各国では国産映画よりハリウッドや韓流映画、日本のアニメ映画などが断然人気です。

東南アジア産映画は、それらに比べるとやはりまだ人気は劣りますが、もちろんヒット作が生まれることもあります。

国産映画ではロマンス、コメディ、アクション、家族ものなど、明るく楽しい映画が好まれる傾向にあります。

検閲が厳しい

東南アジアの映画検閲は全般的に厳しいです。

国内で上映するには、政治、宗教、暴力表現、性的表現、言語など多くの面で検閲の規制があります。

これらの基準にパスできない場合は内容の修正が求められたり、上映許可が下りなかったりします。

そのため、アジアで作られる映画には、国外向けと国内向けの二つの潮流が存在することもあります。

国内向け映画は検閲を通過する保守的な作品が作られる傾向があり、一方、海外向けには検閲を意識しない自由な内容の映画が製作される傾向があります。

越境映画が多い

検閲が厳しく国内での需要が少ないことなどから、映画作りの一部を海外で行ったり、あるいは海外と共同製作するなどした「越境映画」が多い傾向があります。

東南アジアの多くは多民族国家であり、植民地経験がある上に英語が話せる人口も多いことから、海外へ出ることへの垣根が低いのです。

たとえば、普段は海外に拠点を置く監督が、撮影時のみ母国で撮影し、編集や上映はまた海外に戻って行うパターンなどがあります。

そのため、国内でヒットした後に海外上映される作品だけでなく、国内上映をスキップして最初から海外上映を意識して作られる映画も多いです。

では次に、国別の映画事情をご紹介します。

フィリピンの映画事情

town - the Philippines

フィリピンは東南アジアの中でも特に映画づくりがさかんな国のひとつです。

スペインやアメリカによる植民地統治の影響で、映画製作は早い段階に始まりました。

フィリピン映画の黄金期は3期あるといわれます。

第1期:1950~60年代

戦後大手の映画会社ができ、大量生産される。

第2期:1970年代

マルコス政権下、映画好きのイメルダ夫人の影響で映画祭が開催され、インディペンデント映画が花開く。

この時期には、リノ・ブロッカ、イシュマエル・ベルナール、キドラット・タヒミックなど有名監督が多数登場。

第3期:1990年代~現在

デジタル映画の祭典「シネマラヤ」が始まる。社会問題を扱う映画を中心に上映され、国内だけでなくアジア各地から有望な監督が輩出される。

ブリランテ・メンドーサ、ラブ・ディアスなどが活躍する。

現在、フィリピンでつくられる映画は、商業映画とインディーズ映画の2種類にはっきり分かれます

商業映画は主に国内上映向けで、ラブコメなど夢がある映画の方が大衆人気が高いです。

一方、インディーズ映画では、性的マイノリティをテーマにしたものや、都市のスラム地区を舞台に描かれる貧困、犯罪、ドラッグなどリアリティを追求した作品が多く作られています。

フィリピンの暗部を描くこうした社会派映画は海外からの評価が高いものの、国内では一部のインテリ層を除いてあまり好まれません。多くの国民は、暗い現実を見せられるより明るい気持ちになる映画を観たいと思うからです。

そのため、世界的に有名なフィリピン人監督の多くは、国内上映を経ずに初めから海外上映を意識して製作することもあります。国際的に人気な監督が、実は国内ではさほど知名度や人気がない…ということもフィリピンではよくあるのです。

フィリピン映画のおすすめはこちらの記事をどうぞ!

タイの映画事情

タイは、ハリウッドのベトナム戦争映画のロケ地として頻繁に撮影や編集が行われた時期があり、それにより映画製作技術が向上し、現在のタイ映画の質の高さにつながっています。

現在のタイは、多岐にわたるジャンルで良作映画が製作され、海外でも多く上映されており、まさにアジアの映画大国です。

とはいえ、タイは90年代に映画製作がかなり下火になった時代がありました。

現在のようにタイ映画が百花繚乱の時代を迎えたのは、1999年に公開された『ナン・ナーク』という映画がきっかけでした。

ナン・ナーク:

タイに伝わる有名な民話「メーナーク・プラカノン」のストーリーを映画化した作品。

国内で大ヒットした後、日本など海外でも上映された。2013年には同じくメーナーク・プラカノンを題材にした映画『愛しのゴースト』も上映され、こちらも国内で大ヒットした後、海外で広く上映された。

ナン・ナークはホラー映画でありながら、脚本も映像技術も非常に洗練された作品で、海外の映画人を驚かせました。この成功により、タイ映画に世界の注目が一気に集まりました。

そして、2010年頃には『ブンミおじさんの森』で知られるアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が登場します。

アピチャッポン監督は、従来にはなかった全く新しいジャンルのタイ映画を作りました。

アート色が非常に強く、わかりにくいストーリーでありながら、タイの伝統的文化や伝説を散りばめ、また政治情勢をも暗喩しているという、非常に奥深い作風です。

アピチャッポン監督は特に海外で絶賛され、またたく間に世界中から注目を浴びることになりました。

他にもタイでは歴史、サスペンス、人間ドラマ、ムエタイなど様々なジャンルで質の高いタイ映画が製作され、世界で上映され続けています。

ただ、タイ映画にも検閲があります。

タイの映画検閲は比較的寛容で、暴力表現や性的表現はかなり許容されています。また、政治的メッセージが込められている場合でも、婉曲的な表現であれば許されることもあります。

しかし、「王室」と「仏教」に疑問を呈する内容の作品はタブーです。

その理由は、「タイ人的価値観」=「民族・宗教(仏教)・国王」を揺るがす可能性があるからです。

多民族集団のタイでは、この創造された「タイ人的価値観」がタイ人アイデンティティを保っているのです。

また、タイといえばLGBTQを扱った映画もあります。

わかりやすい動きや服装をしたステレオタイプな性的少数派のキャラクターが登場する作品は多く、純粋な恋愛作品として同性愛が描かれるものも多くなりました。

しかし、現実的なLGBTQ問題を描く映画はタイでは実は限定的です。

実際のタイの性的マイノリティは多くの苦悩を抱えており、彼らが抱えるリアルな現実を描いた映画は検閲で承認されないことも多く、タイのLGBTQについて真正面から扱った映画は意外にも少ないです。

タイのおすすめ映画はこちらの記事で紹介しています。

マレーシアの映画事情

decorative door-Malaysia

マレーシア映画界では戦後1950~60年代にP. ラムリーという歌手兼俳優兼映画監督というスーパースターが登場し、多くのヒット作を生み出し映画界を牽引していました。

しかしP. ラムリーの後、マレーシア映画は単発でのヒット作は時々出るものの、全体的には下火の状態が続いていました。

その状況に風穴をあけたのがヤスミン・アフマド監督です

ヤスミン・アフマド:

マレーシアでCMディレクターとして活躍したのち、2003年に長編映画でデビュー。『細い目』(04)では東京国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞し、注目を集める。

マレーシア映画では避けられがちな「民族」「宗教(信仰)」「言語」というセンシティブなトピックを真正面から扱い、それらを超えた先にある人間同士の交流を描いた。

2009年に51歳の若さで急逝。その短い監督人生で残した6作品は今でも上映され続け、多くの人に影響を与えている。「マレーシア映画の母」とも呼ばれる。

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多民族社会のマレーシアでは、民族によって観る映画が異なるのが普通です。多民族国家でありながら、ほとんどの映画ではいずれかの民族の単一の言語のみが話されています。そして基本的には各民族グループは自分の民族の言語の映画を観ます。

しかしヤスミン監督の作品では、メインキャストにも多民族が登場し、様々な言語が飛び交います。また、民族を超えた友情や恋愛が描かれながらも、民族問題に留まらない普遍的なテーマがメインとなり、観客を選びません。

このヤスミン監督を筆頭に2000年代から「マレーシア・ニューウェイブ」といわれる流れが起こりました。デジタルカメラを用い、身近な問題を題材に、多民族社会のありのままの姿をそのまま映し出しています。

マレーシアの映画検閲は比較的厳しいため、検閲を避けて海外を拠点に活動するマレーシア・ニューウェイブの監督も増えています。

マレーシアの検閲では、政治、宗教、肌の露出や恋愛表現などに一定の規制が入ります。

また、同性愛についての描写は完全に禁止ではありませんが、「同性愛を改心する」内容でなければ上映できないルールがあります。実験的な映画の場合、保守的ムスリム団体からの抗議が起こることもあります。

また、マレーシアでもホラー映画が大人気ですが、あまりにも超自然的な能力を描く作品の場合は、イスラム教との関係から上映許可が出ないことあります。

マレーシアのおすすめ映画はこちらの記事でご紹介しています!



シンガポールの映画事情

シンガポールでは英国植民地時代に二大映画スタジオが設立されたことにより、上海や香港で製作された中国語映画の配給・上映や、マレー語映画の製作が盛んに行われ、1970年前後まで映画産業が活況でした。

しかし1965年のマレーシアからの分離独立以降、シンガポールは経済発展を重視し驚異的な成長を遂げた一方、映画をはじめとする芸術産業の育成は置き去りにされていました。

映画製作への政府からの支援はなく、映画産業は衰退を続け、1980年代には国産映画が0になったほどです。

1990年前後になると、東南アジア初の映画祭「シンガポール国際映画祭」が開催されたり、高等教育機関での映画コースが開設されたりと、シンガポール映画の再生の動きが徐々にみられるようになりました。

漫画家でもあったエリック・クー監督は、1995年に『ミーポック・マン』という作品で長編デビューし、リアルなシンガポールの生活の中で人々が抱える孤独や絶望などを生々しく描きました。彼の作品の多くはシンガポールの検閲に挑戦するような斬新なテーマを扱い、国際映画祭では高く評価されています。

エリック・クーの後、国内外で活躍するシンガポール出身監督が増え、今後もシンガポール出身監督の活躍が期待されます。

ただシンガポール政府は近年、文化・芸術産業の支援に力を入れていますが、純粋な芸術新興のためというよりは、確実なリターンの得られる商業映画を優先する傾向があります

そのため、若手監督は資金を得るために本来作りたい作品を妥協して商業映画に寄らざるを得ないというジレンマを抱えています。

また、シンガポールは今でも映画における検閲は厳しいといえます。

シンガポールの場合、政治、宗教、暴力、同性愛への表現に規制があるほか、方言使用が多すぎる場合も検閲で制限ががかることがあります。

中国系シンガポール人は、標準中国語だけでなく、家庭内では広東語や福建語など祖先の中国での出身地域の方言で会話をすることも多い。

ちなみに、シンガポールの大富豪が描かれ世界的に大ヒットした映画『クレイジー・リッチ』は、キャストは全員アジア人でありながら、実はシンガポール映画ではなくハリウッド映画です。

シンガポール映画のおすすめはこちらの記事をどうぞ!

インドネシアの映画事情

children - Indonesia

インドネシアではスハルト政権時代(1968-1998)には映画検閲は大変厳しく、プロパガンダ映画や模範的な内容の映画のみが上映可能でした。

スハルト政権が崩壊した1998年は、インドネシア映画復活の年とも言われます。

堰を切ったように多くのインディーズ作品も製作され、スハルト政権時代にはタブーであった政治問題や社会問題を扱った映画も観られるようになりました。

ガリン・ヌグロホ監督はその代表です。

インドネシアのリアリティを描きつつ、独自の芸術表現も織り交ぜた作品は、海外からの高い評価を得ています。ストリートチルドレンなどの社会問題や、性的マイノリティを正面から描いた作品などがあります。

ヌグロホ監督以降、『虹の兵士たち』などのヒット作を次々製作しているリリ・リザ監督など、新世代のインドネシアの映画監督達が登場し、それまでにない新しいインドネシア映画が作られています。

また、インドネシアはアジアでも有数のホラー映画大国で、イスラム教徒の国でありながらも幽霊が登場する映画が非常に多く作られています。

ただし、2000年代後半から、インドネシアは再び保守傾向に回帰しつつあるといわれています。

社会全体のイスラム化が加速し、自由化への反発がみられます。映画にもこうした保守回帰の傾向を反映した作品が増えています。

尚、インドネシアでは今でも公に語ることがタブーとされる、「9月30日事件」をメインで扱う映画はインドネシアにありません。

イギリス・デンマーク・ノルウェーの共同製作で9月30日事件を扱った『アクト・オブ・キリング』、及びその続編の『ルック・オブ・サイレンス』はインドネシア国内では今でも上映禁止とされています。

インドネシアのおすすめ映画はこちらの記事で紹介しています。

ベトナムの映画事情

ベトナムではフランス植民地時代から映画製作が始まっており、ベトナム戦争期にはプロパガンダ映画が多くつくられていました。

南北統一後、社会主義国のベトナムでは検閲が厳しく、政府批判の映画などは許されませんでした。

しかし1980年代からのドイモイ(刷新)政策以降は検閲が緩み、多様なテーマの自由な映画も作られるようになりました

また、ベトナム戦争をテーマとした映画は継続的に作られている一つの映画ジャンルです。

戦争に参加した兵士たちを讃えるものや、戦争による心の傷跡を描く作品などがありますが、徐々にベトナム戦争映画の数は少なくなりつつあります。

2000年代半ば頃からはベトナム国内での映画製作本数が激増し、恋愛、アクション、コメディー、家族ものなど様々なジャンルの良作が数多く登場しました。

韓国や日本映画のリメイクが盛んなのもベトナムの特徴で、『ベトナムの怪しい彼女』、『パパとムスメの 七日間』、『サニー』などのベトナム版があります。

国際的に有名なベトナム映画は、これまでは海外在住のベトナム人監督がベトナムをテーマにして製作した作品が多かったといえます(『青いパパイヤの香り』『夏至』『草原に黄色い花をみつける』など)。

しかし、最近はベトナム在住監督らによる作品が国内上映を経て海外上映される例も増えています。

とはいえ、国内で人気の映画と海外で評価される映画にはまだギャップがあります。国内では、現実を忘れられるような明るく楽しい映画が人気である一方、海外ではベトナムの社会問題に暗部に焦点をあてた映画に評価が集まるという傾向があります。

海外の監督と合作した作品をベトナムの検閲を経ずに直接海外上映されることも増えてきました。

おすすめのベトナム映画はこちらの記事で紹介しています。

カンボジアの映画事情

lotus - cambodia

ポル・ポト時代以前の1960-1970年代は、カンボジアの映画黄金時代でした

中でもカンボジアのホラー映画はアジア全域にわたり上映されるほど大人気でした。

この時代にカンボジアの国家元首を務めていたシハヌーク殿下も大の映画好きで、合計で60本ほどの映画を撮っていたといいます。

しかしポル・ポト政権期、あらゆる文化が抹消されました。

300本ほど存在していたカンボジア映画のフィルムはその9割が焼き尽くされ、映画監督や俳優たちの多くが処刑されました。

暗黒のポル・ポト時代を終えても、ありとあらゆるものが破壊しつくされたカンボジアで映画が復興するには多くの時間が必要でした。

ポル・ポト時代をテーマにした映画を製作している監督の代表は、フランス在住のカンボジア人であるリティ・パニュ監督です。

ポル・ポト時代は実際にその映像はほとんど残っていないため、「人形を人に見立てる」「当事者に再演させる」など独特の手法を用いて監督自身が実際に体験した悲劇を伝えています。

「ポル・ポト映画」は今ではカンボジア映画の一つのジャンルとなりました。

逆に言うと、ポル・ポト時代のことを全く描かないカンボジア映画は海外ではあまり受け入れられません。

海外で上映される機会のあるカンボジア映画は、ポル・ポト時代に多少でも触れる内容になっているものがほとんどです。

カンボジア映画は今、ポルポト時代を描かずとも純粋にその内容で評価される作品づくりを模索している段階といえます。

カンボジアのおすすめ映画はこちらの記事で紹介しています。

ブルネイの映画事情

実はほんの数年前まで、ブルネイ国内の映画産業は「ない」に等しい状態でした。

ブルネイ人にとって映画とは、海外の映画をシネコンで観るものであって、自分たちで作るものだという概念は長らくありませんでした。

そんなとき、こうしたブルネイの映画産業に風穴をあけたいと考えたシティ・カマルディン監督が『ドラゴンガール』を製作し、国際的にも広く上映されました。

その影響を受けてなのか、なんと2018年頃から突如としてブルネイ映画が量産されるようになりました。ジャンルはアクション、コメディ、ミステリーなど様々です。

まだ『ドラゴンガール』ほど国際的に上映されている作品は出ていませんが、この流れが続けば、もしかすると将来身近にブルネイ映画が楽しめるようになるかもしれません。

まとめ

東南アジア映画事情をご紹介しました。

東南アジアでは、各国の抱える事情により、総じて様々な厳しい検閲基準が設けられています。

ただし検閲を掻い潜るため、本当に伝えたいメッセージが婉曲的な表現に置き換えられている作品も多く、東南アジア映画では細かい点にも注目すると思わぬ発見があるかもしれません。

また、東南アジアでは政治的な理由などにより各国国内ではタブーとなっているトピックもいくつかあります。それらをテーマにした映画は、逆に東南アジア国外でのみ視聴できるチャンスがあるという点も東南アジア映画の特徴といえます。

本記事がアジア理解の一助になりましたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。



参考文献

  • 石坂健治ほか『アジア映画の森 新世紀の映画地図』2012. 作品社
  • 夏目深雪ほか『アジア映画で〈世界 〉を見る――越境する映画、グローバルな文化』2013. 作品社
  • 盛田 茂『シンガポールの光と影 この国の映画監督たち』2015. インターブックス
  • 窪田守弘『映画でベトナム』2007. 南雲堂フェニックス
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